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2006-11-13 00:00
連載投稿(2)「岡倉天心アジア大賞」の栄誉は地域統合の先駆者へ
山下 英次
大阪市立大学大学院教授
「岡倉天心アジア大賞」が創設されたとすれば、第1回目の受賞の栄誉は、マハティール元マレーシア首相に与えられるべきである。1990年12月、「東アジア経済グループ」(EAEG)構想を提唱した彼こそ、昨今、動き出したアジア地域統合の先駆者に他ならない。
日本が、アメリカに配慮してEAEG構想にイエスと言わなかったため、同構想は頓挫したが、その後、「ASEAN+3」として実を結んだ。マハティールがEAEG構想で想定していた構成国は、「ASEAN(当時7カ国)+3(日中韓)」であり、今日の「ASEAN+3」は、EAEGの名前を変えたものに他ならない。
「ASEAN+3」創設のお膳立てをしたのがシンガポールのゴー・チョクトン首相(当時)である。彼とフランスのイニシアティブで、1996年、第1回目のASEM(アジア欧州会合)首脳会議が始まったが、その際、アジア諸国だけの首脳による会合も開催され、それによって「ASEAN+3」のグループが事実上始まったのである。すなわち、アジア諸国は、ヨーロッパとの会合の場を借りる形で、遂に日本を、事実上のEAEG構想にインボルブすることに成功したともいえるのである。
このように考えると、「岡倉天心アジア大賞」の第2番目の受賞者は、ゴー・チョクトンである。「ASEAN+3」首脳会議は、正式には、1997年から始まり来年は10周年を迎えるが、その立役者は、ゴー・チョクトンである。(つづく)
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