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2015-01-11 00:00
フランスはムスリム社会と共存・共生できるか
若林 洋介
自営業
近代市民革命の発祥の地、フランスのパリでイスラム過激派による風刺週刊誌編集者銃撃事件が起きた。われわれにはいかなるテロリズムもこれを許容する余地はまったくなく、言論の自由や表現の自由は絶対に守り抜かなければならない価値である。しかし、イスラム教諸国では、西洋社会のような政教分離の観念は普及しておらず、近代市民社会の価値観に対する理解もできていない。西洋社会も、現在の価値観にたどり着くまでには、ルターやカルヴァンの宗教改革から400年かかっている。その前の西洋社会では異端者たちを火あぶりの刑に処することは、珍しいことではなかった。18世紀のカントの啓蒙哲学で人間中心の世界観が確立し、19世紀のダーウィンの進化論でキリスト教批判が市民権を獲得できたのであって、他宗教への不寛容さにおいて、19世紀までのヨーロッパは今日のイスラム教諸国と大差はなかった。
サウジアラビア、イラン、イラクなどのイスラム教諸国内で、今回のような風刺画が出版されたならどうなるだろうか。関係者はイスラム法で裁かれ、場合によっては処刑されるだろう。それがイスラム社会の掟だからである。そういう感覚をイスラム教徒たちは持っている。しかし、今回の事件は、フランスのパリで起こった。そこでは言論や表現の自由への挑戦的行為は絶対に許されることはない。が、それだけでよいのだろうか、ということを私は一つの疑問として、ここで提起してみたいのである。フランスという国は、もはやこれまでのようにキリスト教の歴史だけを背負っていればよい国家ではないのではないか、という疑問である。フランスの現状は、多民族国家、多宗教国家という形態に変化しつつあるのではないか、ということである。そうなるとイスラム教は、もはや他国の宗教ではなく、自国の宗教の一つである、という考え方が必要となる。
フランス社会は、キリスト教徒とイスラム教徒の共存・共生を大きな課題として背負っており、この課題をフランス全国民が共有していく中で、新たな共生社会を構築していかなくてはならないということである。西洋社会には、かつてプロテスタントとカトリックの血なまぐさい宗教戦争があり、その教訓を踏まえて両宗派は妥協し、宗教的寛容の理念の下に共存・共栄の近代市民社会を構築した歴史がある。そうは言っても、英国のアイルランドではいまだにプロテスタント地区とカトリック地区が高い塀で仕切られており、棲み分けによって何とか紛争を回避している状態である。ことほど左様に、宗教がからむと問題の解決は難しい。
それにしても、21世紀を生きる現在のフランス国民は、言論の自由や表現の自由という近代社会の理念と他宗教との共存や共生という現代社会の理念の双方の担い手として、両者の対立・相克にいかに折り合いをつけてゆくべきかを問われていると言える。現在のフランス国家の中には近代市民社会の理念とまったく原理を異にするイスラム法によって統治されているムスリム社会が存在する。これは既成事実である。してみれば、フランス国民はこのムスリム社会を吸収合併でもしないかぎり、なんらかの形でのそれとの共存・共生の道を切り開くことにしか選択肢を持ち得ないのではないかと思われるのである。
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