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2006-11-09 00:00
東アジア共同体形成の鍵を握る理想の共有
市村 真一
国際東アジア研究センター名誉顧問
東アジア共同体の形成のためには、理想の共有による多様な文明の融和が必要である。そしてアジアの多種多様な宗教の融和は、互いの宗教の根本理想の共通に目覚めることで実現する。中華文明の理想、インド文明の理想の共通点はないか。あるとすれば、それは何か。そこに着目して「東洋の理想」を語ったのが岡倉天心であった。彼の名著『東洋の理想』は、その冒頭の一句「アジアは一なり」によって誤解を受けたが、その真意は、ヒンズー教=仏教の理想の愛(ヴェーダ)とシナの儒教の仁慈に共通する慈愛の精神が、両国を分かつヒマラヤの峻峰にもかかわらず、アジアを一つにつなぐと言ったのである。我等は、それに日本の「和」の精神を加えてもよい。
東南アジアは、インド系とシナ系の両系の文明が混じる。インドネシア等にはまずヒンズー教、仏教、次いで回教、キリスト教と次々に入った。それを一宗教に統一する事はできない。そんな事をしようとすれば、バルカン同様、宗教戦争になる。そこでインドネシア建国の時、スカルノやハッタ等が考えたのが「多様のなかの統合」というスローガンであった。
それこそ正に東アジア諸国の目指すべきものである。それは宗教の融和、宗教の平和共存を要求する。実は、それが今や世界的課題であるが、世界の議論はしばらく措く。多様な宗教が互いに相手の立場を認め合い平和共存する状況は、正に天心のいう共通の理想への覚醒によってできるのである。
この多様な宗教の融和という難問を解決するような宗教心は一体どんなものか。宗教には、多神教と一神教と汎神教があると言われる。ユダヤ教もキリスト教も回教も、同じ根から出た同じ一神教であるが、ギリシャ神話に現れてくる宗教は多神教である。ヒンズー教、仏教、神道にも多神教のように見える点がある。水には水の神、火には火の神がおられるというのは多神教的だが、その神は違った神様ではない。ギリシャ神話では別々の神様である。だけど神道でも仏教でも、ひとつの神様がいろんな形で現れると考える。それはドイツの哲学者カントが、最終的宗教として尊んだ汎神論の世界である。
私はアジア共同体の形成には、多くの宗教家も人々も宗教の平和共存、深刻なる意味の汎神論的世界に目覚めねばならないと信じる。富士山への登り道はいろいろあっても、結局行く先は富士山頂である。そう悟る以外に人類には救われようがない。バチカンの法王も最近は汎神論的な事をおっしゃっている。世界平和にはその信条が必要だし、アジアの平和と繁栄の道は正にそれしかない。もし仏教徒が回教徒と戦い、神教徒と戦えば、物部氏と蘇我氏の昔にかえる事であるが、日本人はそれを繰返さないでしょう。日本人は二千年かかって、神道と仏教の融和を実現した。そして明治時代のクリスチャン達も西洋の教会を離れて無教会派のキリスト教を作り出して神道的世界と融和した。
中国人も、彼等の建国の精神である共産主義を克服して、シナ本来の道教=儒教の伝統に戻り、仁慈の精神に戻らねばいけない。それがいかに困難であろうとも、それ以外に中華文明を救う道はない。それは、ソ連においてレーニンやスターリンが否定されて、ロシア正教の伝統に戻ったのと同じである。インドネシア人も、フィリピン人も、タイ人も、マライ人も同様である。そこに東アジア共同体の形成への最大の鍵がある。
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