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2014-12-08 00:00
武田惣角の調査結果
池月 映
郷土史研究家
武田惣角の故郷会津を10年間取材して、「会津の武田惣角」(口伝編)、「合気の発見」(合気編)、「合気の創始者武田惣角」(完結編)を書いた。これまでの大東流の格式高い史実は仮託で、さらに宗家を名乗った子孫によって美化されてきた。武田惣角については、秘密主義によって、地元では奇人変人のままになっており、本格的な調査は行われなかったが、私の調査により、明治戸籍、昭和戸籍、小野派一刀流奉納額、教えを受けた師範代、妻の家族、天才易者などの証拠が出てきて、やっと真実が判明した。(ホームページ「合気の創始者」を参考)
武田惣角は、戊辰戦争後、生家(農民)に同居した会津藩士御供番佐藤金右衛門(武芸十八般の達人)に武術全般を学ぶ。23歳の時、怪我の後遺症に苦しみ隣村の天才易者万之丞の治療を受け、真言密教、修験道、易学、東洋医学を学び、気を導入して合気を創始する。自宅火災による借金返済のため、自宅を失踪して武術指導者になって三年後、保科近悳に大東流の名前を付けてもらい、甲斐武田の末裔、会津藩士を名乗り、生涯流浪の武術家になった。密教・修験道の掟を守り、組織をつくらず、故郷に錦を飾らず、北海道の寒村に住み一武芸者を貫いた。
津本陽氏の「孤塁の名人」、木村達雄氏の「透明な力」にある内弟子佐川幸義の証言、子孫の武田時宗遺稿集(月刊秘伝)、大東流琢磨会の「合気の術」(月刊武道に連載中)で私の説は証明され、西郷頼母研究家も、大東流史実は武田惣角と西郷頼母の願いが結実した創作であると「会津人群像22号」に発表している。
これまで、専門家である武術家、歴史研究家、大学、さらに子孫さえ調査できなかったというのが不思議である。日本歴史人物事典などの記述は、誤記を指摘しても修正されていない。日本の誇るべき武道を叫ぶなら、史実と技の真実を明らかにしなければならない。その研究を大学関係者に望む。
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