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2014-07-23 00:00
(連載1)マザー・テレサと「積極的平和主義」
西尾 亘
会社役員
私の友人に熱心なカトリック信者がおり、時折、話を聞かせてもらうのですが、これがなかなか面白いのです。その友人君から最近、聞いた話をひとつご紹介したいと思います。それは、かのマザー・テレサについての話でした。
友人君曰く、「マザー・テレサと安倍首相は意外に似ている」と。いったいどういうことでしょうか。インドのスラムで極貧のホームレスや死を待つばかりの病人に、天使のごとく救いの手を差し伸べていたあのマザー・テレサと、解釈改憲によって集団的自衛権を可能にし、左派のみなさんから「日本を戦争をできる国にした」などと、激しく叩かれているあの安倍首相とが、いったいどう結びつくのか。唐突な話に私はただただ目を白黒させるばかりでした。しかし、いつも突拍子もないことを言う友人君ですが、実は意味深い話のことが多いのです。
その友人君はマザー・テレサの興味深いエピソードを教えてくれました。あるとき、マザー・テレサのもとに、ある反戦活動家からデモ参加の要請があったそうです。おそらくマザー・テレサの名声によって自分たちの活動に箔をつけようとしたのでしょう。ですが、マザー・テレサはその要請をきっぱりと断り、こう答えたそうです。「私はどうして反戦デモに参加しないのか、と問われることがよくあります。私の答えはこうです。私は決して反戦デモには参加しません。でも、もし平和のための運動があれば、私は参加するでしょう」。このエピソードを聞いて、私は友人君の言いたかったことが少しわかった気がしました。
おそらくその反戦活動家には、マザー・テレサの返答は詭弁に聞こえたのではないでしょうか。なぜなら、その活動家は反戦デモこそが「平和のための運動」だと信じて疑っていないからです。しかし私には、マザー・テレサがその反戦活動家に痛烈な皮肉を言ったのだと思えてなりません。「戦争反対」を声だかに叫んで道を練り歩けば「平和」が訪れるなどといった甘えた考えをもつ活動家の感覚は、腐臭漂うスラムの現場で日々、人倫踏みにじられた人々を相手に、ぎりぎり「心の平和」を与えようと、死にもの狂いの活動に従事していたマザー・テレサにとって、到底受け入れられるものではなかったはずです。「何かに反対すること」だけで何かを生み出そうとすることの無責任さ、不毛さを、マザー・テレサはそのような返答で、きっぱり拒絶していたのではないでしょうか。(つづく)
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