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2014-07-03 00:00
(連載1)小日本主義から大日本主義へ大転換される国家戦略
加藤 朗
桜美林大学教授
集団的自衛権の行使が、限定的ながら遂に容認された。閣議決定後も反対論は喧しいが、もはや引かれ者の小唄にしか聞こえない。そもそも集団的自衛権行使問題の本質は、憲法解釈の問題ではない。日本の外交政策、安全保障政策など、日本の国家戦略の問題である。集団的自衛権行使容認の本質とは、畢竟「小国主義」から「大国主義」、「小日本主義」から「大日本主義」への国家戦略の大転換である。反対派は、憲法の手続き論や安保法制懇が挙げた個別事例の矛盾に反論することに忙しく、事の本質を見失ってしまった。議論すべきは憲法解釈論や憲法改定手続き論ではなく、日本の国家戦略だったのである。
ちなみに「小国主義」とは、既存の国際秩序に適応する消極的な国家戦略であり、他方「大国主義」とは、国際秩序を形成する積極的な国家戦略である。いずれの国家も小国主義、大国主義の時代を繰り返す。明治以降の近代日本に当てはめれば、1945年を境に小日本主義の時代は1945年以降、大日本主義の時代は1945年以前の時代である。
国際秩序の変化と国家戦略の変遷は、次のようになる。第二次世界大戦での敗戦で、明治憲法下の大日本主義は放棄され、新たに1946年に自衛をも含め一切の武力行使を禁じた現平和憲法が公布された。当時の国内外の情勢を考えれば、日本には小日本主義の国家戦略以外に選択肢はなかった。その後冷戦の激化、朝鮮戦争の勃発等国際情勢の変化に伴い、「個別的自衛権による必要最小限度の武力行使は合憲」との憲法解釈の変更が行われ、1954年7月には自衛隊も発足した。その後に基づき冷戦時代日本は日米同盟の下でアメリカの秩序に適応する軽武装、経済優先の小日本主義の国家戦略すなわち吉田ドクトリンを貫くことができた。
この小日本主義の国家戦略が揺らぎ始めたのは湾岸戦争である。この時日本は、アメリカから世界第二位の経済大国として冷戦後の国際秩序の形成に積極的な役割を求められた。その後もアメリカは、アフガニスタン戦争、イラク戦争で、大日本主義への戦略転換の圧力を日本にかけ続けた。しかし、そのたびに日本は、平和憲法を盾にアメリカの圧力に抵抗した。その一方で「人間の安全保障戦略」の下でPKOの後方任務や人道支援など国際協力に参加し、カナダやオーストラリアのような既存の国際秩序を積極的に維持するミドルパワーの役割を模索してきた。(つづく)
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