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2006-10-17 00:00
グローバリズムには「小さな政府」で対応できる
四条秀雄
不動産業
7月21日付けの上辻宏氏の投稿「不可逆的な東アジア地域統合の流れ」に再度反論したいと思います。グローバリズムが進むと、人・モノ・金・情報の移動量が増大します。それは、ある組織単位の経験する変動が、大きくなることを意味しています。任意の一国は、グローバリズムにどの程度の耐久力があるのでしょうか?戦前のグローバリズムで欧米を危機に陥らせた資本移動の量はGDPの数%、戦後のアジア危機では10%だということです。従って日本の危機への対応は、資本に関しては25兆円超の資本移動が起こる可能性を探り、その対応策を準備することだといえます。しかし、外貨準備が100兆円近くあるわけですから、単純な資本移動には十分対応できます。そうすると、大地震等で一挙大量に資産が失われるというような想定ぐらいしか考えられません。しかし、大量の資産が失われても、復興のための生産設備が生き残っていれば、災害対策と合わせて、日本はかなりの耐久力があると思います。
人の移動については、90年以降の日系人の流入で最大10万人/年程度の流入があっても大して混乱しなかった点をみると、許容限界はまだまだ上の方にありそうです。高度成長期には100万/年の都市への流入があったので、残存している団地等のインフラ面からも数十万の流入に耐える能力はあるだろうと思います。情報やモノの移動については、十分対応能力があるでしょう。が、国際空港や大規模港湾施設など参入退出の円滑性では劣るかもしれません。
このようなグローバリズムに対して、組織体は、(1)自らが大きくなって、変動の影響を相対的に小さくすることを主とするか、(2)固定的な部分を小さくして可変部分を増やし、変動への対応力・反応性を上げることを主とするか、(3)開放体制をとって、かつ、積極的に移動量を誘導して制御することを主とするか、の選択を迫られます。これは企業の売上高の変動が大きな状況での、企業戦略の三つの対応と同じです。シェアを拡大して変動の相対比を引き下げるか、固定費を下げて売上高の変動を受け入れるか、売上高を拡大させるか。(1)は、EUの道であり、(2)は日本の道であり、(3)はアングロサクソンの道です。また、(1)と(2)は受動的な対応であり、(3)は能動的な対応です。そして、前者から後者への移行もありえます。
日本はEU型の道は取ることはできません。何故なら、日本とEU型共同体を組める可能性のある国には、韓国と台湾がありますが、韓国は30年前の完全ハングル化から文化的孤立化が進んでいますから、今後、準先進国から脱落する可能性が高いからです。現在の韓国で共産主義思想が強い影響力を持っているのは、ハングル化による世界文化からの隔絶によるところが大きいと思います。その一例として、北朝鮮核問題でも、韓国政府には核拡散という世界的課題への認識が非常に薄いことが挙げられます。英語への傾斜や移民の動向からみて、韓国の若い世代やその親世代は、もはや自国の文化や学問体系を信用していないようです。再度、漢字文化圏入りをしても1世代は経たないと、日本や台湾とEU型共同体を組むような状況にならないと思います。台湾は、経済的や文化的にはEU型共同体が可能な国です。しかし、中国からの政治的圧力のために不可能だと思います。従って、日本は(1)の道は捨てなくてはいけません。日本に残された道は、(2)か(3)です。これまでは、(2)の道を主としてグローバル化に対応して来ました。さらに変化への耐久力をつけるために、これからは自治体・地方政府レベルでの会計上の独立も必要です。
グローバル化というのは、人の歩くための道で繋がっていた地域社会に、自動車が入り込むようなものです。どの道に自動車を通し、どの道は人のためにとっておくか?これを適切に判断をしないと、自動車の通行を許したために、人を繋げていた道が地域社会をズタズタに分断する柵に変化してしまうような結果になるわけです。グローバル化に適応した地方政府の人口の規模は、最大でも台湾クラスの2000万人程度で1000万人前後が適当でしょう。1000万クラスの地方政府が各々独自にグローバル化に適応しながら、地方圏内調整の難しい部分は、地方間の人の移動や、最小限の中央政府の財政移転で再調整するというような形になります。失業は、地方政府が主として責任を負うべきものとなるでしょう。
さらに、より一層安定性を高めるためには、意図的に、人・モノ・金・情報を日本に向かわせて、必要な分以外を他国に再投資する状況を作り出す、現在の米英のような、対応をすることです。そのためには人・モノ・金・情報が出たり入ったりすることを可能な限りスムーズにするシステムつくりが必要です。
こういうことは、東京圏や一部の国際化された中堅地方都市で進められる必要があります。
共同体構想は、戦前の満州国と同じです。日本の歴史教科書では、執筆者が共産主義の影響を受けた人々が多いために、書いている当の本人・主体が消える現象が起きていますので、満州国の背景が描かれていませんが、あれは当時最も輝いていたソビエト連邦をモデルにしたものです。満州国成立の直前の時代、ソビエト連邦はその70余年の歴史上最も光り輝いていたのです。重要なことは、共同体だのソ連邦だのその時期に輝いて見えるものではなくて、グローバリゼーションを支配している移動という本質や、移動の障害になる例えば言語のようなものに注意を向けることです。或いは、移動が行われる「場」の囲い込み。そういうものを米英がどう扱って進めているかに注目すべきです。
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