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2006-10-06 00:00
アジアにとって「国家」とは何なのか?
河東 哲夫
早稲田大学客員教授
東アジア諸国の経済発展に伴って、政府も国民も自信を増大させ、それにつれてナショナリズムが高揚してきた。それを見て日本の内部でも、「国家」を強化すべきだとの意見が高まっている。だがその尻馬に乗る前に、「国家」とはそもそもどんなものなのかを良く考えておくべきだと思う。国家が強化されたあげくに無謀な戦争に駆り出されるのは、どこの国の国民でもいやだろうからだ。
国家は様々な形態をとりえる。今アジアで念頭に置かれているのは、強い政府、軍隊、警察、諜報機関を持った、西欧型の「国民国家」である。絶対主義国家をベースに成立した国民国家は国内の資源を一手に動員する強い力を持ち、領土や植民地を獲得するための戦争遂行に適した装置だった。だが例えばアラビア語には、「国家」に相当する言葉がない。米国も、西欧のように植民地を獲得するための道具として作られたのではなく、むしろ植民地にされないように設計されたものだった。常備軍は不要だったし、諜報機関も最初はなかった。社会保障は今でも弱い。
東アジアの国々は、領土や市場を獲得するために整備された西欧の国民国家とは別の原理でできている。国民国家という強力な力の使い方に慣れていなかった日本は、その力をコントロールしきれずに自滅してしまったのである。西欧の主権国家、国民国家の枠組みから離れ、柔軟な発想をしていくべきである。そして日本人はこれから未来と過去、そして欧米とアジア、双方向に向かって駆けるのだ。未来とは先端技術、情報化社会、国民国家の変質、過去とは己の歴史を振り返り、日本がアジアで置かれた位置を正確に測定することだ。これは、過去のアジアへ回帰するのではない。東アジアが日本と共に、未来へ向かって走り出すよう仕向けるのだ。
現在の東アジアでは、ステータス・クオ(現状)を維持したい勢力が大半である。台湾をめぐっても朝鮮半島についても、当事者は武力紛争を起こそうとは考えていない。そのような中で国家を遮二無二強化すれば、不要かつ無謀な武力紛争に国民を引き込むことになりかねない。
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