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2006-10-05 00:00
東アジア共同体のインプリケーション
滝田 賢治
中央大学教授
東アジア共同体をめぐる議論は、まさに「百家争鳴」的状況にある。東アジア共同体をどのようにイメージするか、どのように定義するかは後に触れるとして、北東アジアと東南アジアからなる東アジアにおいて、ここに住む人々の安全と福祉を少しでも強化する秩序を構築すべきであるという主張や政策、運動が強まれば強まるほど―その方向性は必ずしも一定ではないにしても―これに対する反発や否定的見解が溢れ出してきているのである。いわばこの「百家争鳴」的状況は、この地域により安定的な秩序あるいはガバナンスを確立しようとする「集合的意思」の高まりへの反応として現象化していると見るべきであろう。問題は、否定的見解を打ち出す者が東アジア共同体をどのように定義して反発しているのかという点である。
第1に、東アジア共同体をEUのような共同体と捉えて、その実現の非現実性を強調する立場である。東アジア共同体を支持する者であっても、確かにEUのような共同体をイメージしている者もいるが、その立場を共有しつつもその実現を遠い将来のものとしてそこへ至る方法論としてこの共同体論を主張している者もいる。前者の立場であったとしても決して荒唐無稽な話と却下できるものではないのである。近現代の70~80年間に3度の戦争を戦い、数千万人の犠牲者を出したヨーロッパにおいて1950年代末から半世紀で―色々問題は抱えてはいるが、そして今後も問題を抱え続けるであろうが―EUという安全共同体を構築したという事実を直視すべきである。このようにいうとヨーロッパはキリスト教という精神的基盤を共有しているという反論をする者が出てくる。しかしキリスト教内での宗教戦争を例に挙げるまでもなく、この精神的基盤の共通性は磐石なものではない。
第2に、現在の東アジア共同体論は、形を変えた21世紀の華夷秩序であるとして警戒する立場である。東アジア共同体への中国の積極的姿勢を見ると、確かに中国が21世紀に東アジアにおいてその政治的・文化的な影響力を増大させようとしていることはほぼ間違いないであろう。問題は、中国のこの動きをどう緩和して多国間協調システムを構築し、ガバナンスを強化していくのかということである。
第3に、東アジア共同体論を新アジア主義の表現ととらえ、日米同盟を日本外交の基軸と認識する論者は、この同盟関係を弱体化さらには崩壊させる危険な思想であると主張する。しかしこの立場は白黒二元論的な発想に基づくものである。日米同盟の「合理化」を前提に日米同盟を維持しつつ、21世紀の華夷秩序の形成を阻止するような開かれた共同体を目指すことによってこの懸念を払拭していくべきであろう。
世界人口65億のうち約半分が暮らす東アジア及びその周辺で、人・物・金・サーヴィス・情報がより大量に、より高速度で移動しあう状況の下で、環境汚染、AIDS・SARS・鳥ウィルスなどのエピデミック、海賊行為、麻薬取引、人身売買などが深刻化している状況は、多国間協調主義による政策によってしか解決できないことは誰の目にも明らかであろう。共同体をEU的なイメージで捉えるのではなく、東アジアの深刻化する諸問題を協調的に解決していく実務的・機能的な重層的レジームの「束」と認識して、まずこの地域に暮らす人々の安全と福祉―目標としては「人間の安全保障」が示す安全の実現―の促進を目的とした協力の枠組みを一歩一歩実質化していくべきであろう。
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