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2014-02-10 00:00
慰安婦問題は戦いを放棄した敗北だった
西村 修平
主権回復を目指す会代表
すべての原点は、そもそも慰安婦強制連行を世界に発信した「河野談話」である。この限りにおいて、自民党こそが売国的な歴史捏造の責任者である。しかし、自民党内部からは、この嘘デタラメを糾弾する声は全く聞こえてこない。慰安婦問題が世界に向けて発信され、慰安婦強制連行が世界に定着したのは「河野談話」の所為ばかりではない。最も大きな決定的な役割を果たした契機は「女性国際戦犯法廷」であった。
平成12年の12月に九段会館で行われたこの催しは、正式な名称を「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」と称した実におどろおどろしい政治集会であった。その目的とするところは、慰安婦強制連行と共に昭和天皇を裁くことであった。当時、東京大学の酒井信彦先生はこの恐るべき国際的陰謀をいち早く察知し、保守派陣営に警鐘を鳴らした。いや、鳴らしたのではなく、乱打した。しかしながら、保守派は全く反応を示さなかった。知らなかったのではない。知っていて抗議、阻止行動をしなかったのだ。集会は昭和天皇に有罪判決を下し、慰安婦強制連行は「天皇制を構成する重要な一部分」だとする判決を全世界に向けて発信した。
会場となった九段会館は皇居と靖国神社に隣接する場所にあり、戦前は軍人会館として使われ、これを管理・運営していたのは財団法人日本遺族会であった。しかし、驚くべきことに、かれらはこの施設を1週間にわたって、昭和天皇と英霊を冒涜する政治集会に貸し出したのである。その建物には「日本会議」や「英霊にこたえる会」などの保守派も事務所を設けていたが、かれらはこの恐るべき反日政治集会を同じ建物内で指を銜えてただ眺めていたのである。もはや慰安婦問題は日本の敗北で決着した過去形の問題となったが、その敗北の決定的な契機は「女性国際戦犯法廷」であった。残念ながら保守派は戦いを挑むことすら出来ずに敗北した。
敗北の結果として、ソウルの我が国大使館前と米国内に少女を模した慰安婦像が建立され、世界中に受け入れられてしまっている。朝鮮人にとっては、平成5年の「河野談話」、平成12年の「女性国際戦犯法廷」から20年以上もかけて挑んできた戦いの戦果である。あわててスタート地点に立った日本人に、朝鮮人を追い越す術はない。ここは先ず以て、現時点での敗北を潔く受け入れ、見つめ直すことこそ肝要である。自民党・安倍政権は一日も早く「河野談話」を撤回しなければならない。
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