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2013-12-28 00:00
(連載)靖国神社参拝と歴史認識問題(1)
若林 洋介
学習塾経営
首相の靖国神社参拝問題がこじれるのは、靖国神社が単なる慰霊施設としてだけ存在しているのではなく、歴史認識の問題がそこに深くからんでいるからである。問題は、この一点に尽きるとさえ言える。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、靖国神社の焼き払いさえ画策していたが、賛否両論が巻き起こる中で、ローマ教皇庁・日本代表でもあったブルーノ・ビッテル神父に意見聴取が為され、神父から次のような意見が進言されて、存続が決定した。
「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」「靖国神社が国家神道の中枢で、“誤った国家主義”の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祭られるようにすることを、進言するものである」
つまりビッテル神父は「英霊の慰霊・追悼施設」としての靖国神社の存続を主張したのである。そこで問題は、現在の靖国神社において「誤った国家主義の根源」としての国家神道が排除されていると見なすことができるのかどうかという点にある。この点について検討してゆくと、現在の靖国神社の活動ぶりを見る限り、そこに「誤った国家主義」思想に基づく「大東亜戦争聖戦史観」の宣伝活動があると言わざるを得ない。たとえば、現に遊就館で上映されているドキュメント映画「私たちは忘れない:感謝と祈りと誇りを」の内容は、大いに問題がある。「日本参戦を仕掛けた米国の陰謀、そして日本は隠忍自重しながらついに苦渋の開戦決断へ」「日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き、刑場の露と消えた戦犯をふりかえる」というような内容である。また、このような歴史認識の立場に立って、靖国神社はA・B・C級戦犯を「昭和殉難者」として合祀している。
そうなると靖国神社の「東京裁判の不当性を暴く」という主張は、サンフランシスコ講和条約において「東京裁判の諸判決」を受諾した日本の国家としての国際的な立場とも真っ向から対立するということになる。つまり、現状の靖国神社の果たしている役割としては、「英霊の慰霊・追悼施設」という一面と、「大東亜戦争聖戦史観(靖国史観)の宣伝活動団体」としての一面とが並存しているということになる。そこで問われるべきは、日本国民は、靖国神社に「英霊の慰霊・追悼施設」としての役割に期待しているのか、あるいは「大東亜戦争聖戦史観(靖国史観)の宣伝活動団体」としての役割を期待しているのか、ということである。(つづく)
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