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2006-09-24 00:00
東アジアのエラスムス計画について
四条秀雄
不動産業
文化圏の最大の競争力は、言語に蓄えられた知識の力でしょう。その蓄えられた知識への接続権を手にするために、誰もがその言語を学び、その結果としてその言語の勢力圏は拡大します。現在において最も強力な言語は、英語であることはいうまでもありません。英語圏に対抗する目的を持つEUは、当然、英語圏の絶対的な言語覇権に対抗する戦略も持っています。その一つがエラスムス計画でしょう。EU諸国間での知的交流を増進して、EU諸語の知的資産を増価させようということです。これによって、世界の人々が英語圏以外の選択としてEU諸語の習得を目指し、言語圏の勢力維持を図るということでしょう。
一方で、この欧・米両雄の対決を非欧米側のほうから見ると、自国の言語文化への偏執と卑下という二つの動きがみえます。非欧米圏の合理的個人は、成功のために自国語を捨て、残された者は日常語と民族的言説だけの世界に取り残されます。しかし、これでは1世代のキャッチアップは可能であっても、次世代への伝達が不可能になり、文化圏としては停滞することになります。自国語で、欧米圏に匹敵する文化圏を維持するには、
(1)一定規模の文化的人口
(2)情報の流通と蓄積を支えるシステム
(3)それらを支えられる豊かな経済力
が必要になります。あるいは、その一部を欧米に依存する借語や翻訳などの代替システムが必要になります。
欧米周辺の文化圏では、語彙を借りてくる前者の方法が可能ですが、アジアなどの遠方では後者の翻訳が主流になるでしょう。日本は早くから大量の翻訳を行い、その翻訳作業の中で、訳者は文体を確立しました。ですから、懸命に翻訳が行われた明治期には、日本人の中でも個性的な文体を持つ傑出した人間が大量に生まれました。文体というのは、どういうことかというと、人間の意思表現は言語に制限されているので、似たような言語構造を持つ人々は、世界観の構成の仕方が似通っていて、相互の言語習得が比較的スムーズな特徴があります。例えば、韓国人やモンゴル人や中央アジア人や南アジア人は日本語の習得がはやく、話す内容にも違和感が少ないという特徴があります。話す内容に違和感が無いということは、世界の捉え方や注目点、関心の向け方が似ていることを示しています。
逆に、英語圏から来る人々は、世界観の構成の仕方から習得しなければならないので非常に苦労します。この、翻訳を通じた言語間の世界観の変換が行われる際に、受入語の側で特定の単語や展開のパターンが個性的に用いられることを「文体」と呼べるのではないかと思います。最近の日本で顕著になってきたソフトウェア面での決定的競争力の欠如も、一部は、それに適した文体の欠如に理由があります。
例えば、「皿の上のカップ」「机の上の皿」だから、「机の上のカップ」「机の上にカップ」「机の上にはカップ」「カップは机の上」など、どのような文体が適当でしょうか?「皿の上にカップ」「机の上に皿」だから、「机の上にカップ」が、文体として最も適当でしょうか?英語は、onなどの前置詞を有しているため事物の時空間構造を記述するのに適しています。言語生活全てがその意識のトレーニングになっています。圧倒的に強いソフトウェア産業はそのセンスの上に成り立っているのではないでしょうか。
三森ゆりか「外国語で発想するための日本語レッスン」などによれば、欧米では「修辞学の伝統に基づくテキストの分析と解釈」が系統的に教育されているそうです。
これに対するには、日本語に少しでも構造記述に適した文体を確立して、その後に意識のトレーニングをしないといけません。日本の製造業を見れば、日本人に論理性が不足してるなんて言えないというかもしれませんが、製造の場合には製造物が論理構造の全体を代替しているので、局所的に考えればいいのです。しかし、ソフトはそうはいきません。「の上の」を挟んだ2つの事物「皿」「カップ」を同時に意識するトレーニングが必要になるのです。そして、片方が不足した感覚もトレーニングする必要があります。これらのセンスが論理学に繋がった、やっと欧米並みになるものと思われます。その点で、最近、京都大学で開発された「知球」とか、小学校で普及し始めた教育プログラム「ドリームマップ」 のようなマップ形式の思考支援ツールというのは、日本人の論理能力開発にとって重要だと思われます
次に韓国の場合、日本語と似た言語ですが、ひとつの大きな違いがあります。それは、70年代から全面ハングル化で、漢字文化圏からの離脱が始まっていることです。これは、韓国民が5000万弱の文化集団へと別個に独立したことを意味します。東アジアの近代文化圏は、明治期日本における欧米文化の漢字への翻訳吸収が、最初の土台となっています。現代中国語ですら、その上に成り立っています。あまり意識されていませんが、漢字を通じた概念流通では、数億人の規模を持つ文化圏です。韓国は、民族主義と反日思想のために、そこから離脱して30年ほど経過しています。これは韓国文化にどういう結果をもたらすでしょうか?5000万弱の人口で、変化の激しい現代社会の学問や文化状況を捉えて言語文化に反映させていくことは相当な無理があります。そのために、韓国では多くの個人が母国語での知識の習得を諦めて、留学などで英語圏に個人が直接接続し始める傾向が出始めています。こうした構図は、貧しい発展途上国に特に著しく見られる現象で、それを考えると韓国の前途は相当に多難だと予想せざるを得ません。本来ならば、韓国のような文化圏は、近接したより大きな文化圏に接続して相互に影響を与える関係に持っていくのが合理的なのですが。また、日本との文化的断絶のために、以前には存在した政治上の共通理解・感覚といったものが不可能になってきています。
これまで、漢字文化圏では、日本が漢字概念の信用・保証を少なからず与えているので、世代を通じた概念の移転が可能になっていましたが、日本の人口が減少し、若い人口が減ったときには漢字文化圏はどうなるかわかりません。経済的に台頭した中国は政治介入が強く、かえって漢字文化圏の弱体化を促進してしまうかもしれません。本当ならば、少なくとも日韓台で競争力のある文化を維持できる規模を確保し、漢字概念に保証・信用を与え続けるのが好ましい姿だったと思います。
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