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2013-12-10 00:00
技術論に基づいた脱原発論を
加藤 朗
桜美林大学教授
小泉元首相の脱原発発言を聞いて、オバマ米大統領の「核なき世界」演説を思い出した。オバマ大統領は、その強大な「権力」を背景に、核なき世界の「方向」を全世界に示し、ノーベル平和賞を受賞した。今、そのことを覚えている人はあまり多くはないのではないか。「百考は一行に如かず」だが、「言うは易く、行うは難し」だ。
小泉発言の趣旨は、安倍首相が脱原発を決断すれば、脱原発は実現できる、という精神論だ。安倍首相はそれだけの権力を持っており、野党も賛成、与党も過半数は賛成、国民も賛成で、反対は少数だ。だから今こそ脱原発の決断をせよということだ。原発にこれ以上国費を投入するくらいなら、その分代替エネルギーの 開発に資金を投入したほうがよい。確かに、その通りだ。問題は、第一に何が代替エネルギーとなるか、第二に代替エネルギーが実用化するまでの間、エネルギーをどうするか、第三に現在すでにある1万7千トンある核のゴミをどのように処分するか、など困難な技術的問題がある。これについて小泉元首相も大方の国民も日本は技術大国という思い込みがあるのか、「為せば成る為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という上杉鷹山の歌を思い出させる精神論に頼るばかりである。
技術以外にも実は深刻な問題がある。人材の確保である。石炭から石油にエネルギー政策を転換した時には、炭鉱は閉山するだけでよかった。しかし、原発を 廃炉にするには高度な技術と研究者、専門家、技術者が必要となる。今廃炉を決定したとして、これから30年~40年間廃炉のための作業が必要となる。はたして、廃炉のためだけに技術を学び生涯を核のゴミ処理や原発解体のためだけに捧げようとする奇特な人材が集まるだろうか。廃炉ビジネスができれば人材は集まるとの楽観論もある。しかし、金目当ての人材は集まったとしても、彼らが高度な技術を開発、修得できるかどうかは疑わしい。人材を確保するために、また廃炉技術を獲得するために徐々に原発への依存率を下げるのが最も現実的だろう。今すぐ原発をゼロにすれば、もはや原子力工学を学ぼうという学生はいなくなり、原発を運転していた技術者も、原発開発にあたっていた研究員もいなくなるであろう。結果原子力技術が国外に流失したり、あるいは技術が失われ、廃炉もままならなくなるであろう。
小泉元首相の脱原発発言以来原発問題は完全に政争の具になってしまった。マスコミは、建前はともかく、原発問題を親安倍、反安倍という硬直した二項対立の文脈でしか扱わず、また多くの原発反対論者も原発問題を技術論ではなく感情論でしか議論していない。内閣府には総合科学技術会議という日本の科学技術の司令塔があり「環境エネルギー技術革新計画」を今まさに議論しているのだから、明確に日本のエネルギー問題を技術の視点から国民に説明してはどうか。内閣府ではだめだというなら日本学術会議が説明してはどうか。原発問題を政争の具にしてしまった責任の過半は、原発問題にだんまりを決め込んだ専門家の怠慢にあると思う。技術を精神論で片づけるような国が本当に技術大国なのだろうか。
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