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2013-08-02 00:00
「賢明なる」安倍は終戦日の参拝を断念
杉浦 正章
政治評論家
閣僚の“問題発言”の度に思うのだが、マスコミは上が馬鹿だと、下の駆け出し記者も馬鹿になるということだ。駆け出し記者は発言の本旨をとらえないで、一部の片言隻句をとらえて、「大変です」と持ってくる。上が疑問を持たずに「よし、書け」ということを知っているからだ。いくら何でも戦後の教育を受けた財務相・麻生太郎がヒトラーを礼賛するわけがないと思って、発言全文を読めば、礼賛などしていない。問題発言に先立って「ワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ」と述べていることが証拠だ。基調としては、ヒトラーのようなものの台頭を否定しているのだ。麻生自身が「私がナチスおよびワイマール憲法にかかる経緯について、極めて否定的に捉えていることは、私の発言全体から明らかだ」と弁明しているとおりだ。これが「ある日気づいたら、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と例によってサービス過剰に口を滑らせたから、その片言が取り上げられたのだ。今の世界は情報の伝わるスピードは速い。米国のユダヤ人までが怒り出す始末だ。政治記者は言葉狩りのセンセーショナリズムから離れて、発言の本質をとらえるべきなのだが、記者は記者で「出席原稿」を書いて点数を稼ぎたがる。一緒にいた記者仲間も書くから、「赤信号みんなで渡れば怖くない」だ。かえって渡らないと上から「なんで特オチした」と責められる。せめてヒトラー礼賛ではないことを本人に確認して記事に付け加えるべきなのにそれをしない。
「俺が政治部長だったら、絶対に本人の反論を付け加えて出稿した」と言いたい。各社ともまさに発言の一部を掠め取る江戸名うてのすり・ちゃっきり金太のような記事に仕立てたのが、今回の「麻生発言」の本質だ。こんなことを繰り返していては日本のマスコミの質はますます低下して、感情だけで記事を書く韓国並みになりかねない。とりわけ8月2日付け朝日の紙面展開がひどい。高級紙を気取っているが、その偏りかたは、まるでタブロイド紙やイエローペーパー並みだ。衆参選挙における論調の壊滅的敗北を、明らかに「麻生の首」で挽回しようとしている。本旨をとらえていない記事を根拠に、鬼の首を取ったような記事を満載している。社説でも「立憲主義への無理解だ」と、独善そのものの論調を展開している。安倍は絶対に麻生を更迭する必要は無い。この際言葉狩りとは徹底的に対決すべきだ。「野党が追及」と朝日がけしかけても、臨時国会は秋までない。この国会では麻生問題などで審議などに応ずる必要は無い。朝日には悪いが、秋までは論議は続かないのだ。ヒトラー発言の影に隠れてしまったが、麻生は靖国参拝に関していいことを言っている。「靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。日露戦争に勝った日でも行けといったおかげで、えらい物議をかもしたこともある」と発言したことだ。これは麻生自身が参拝した春季例大祭に引き続いて8月15日の終戦記念日に参拝しないという意志表示に他ならない。本当はこっちの方がニュースなのだ。もちろん安倍の参拝もやんわりと戒めている。
その安倍の参拝だが、政権内部からの発言を聞くと、まるで安倍が馬鹿であるように聞こえる。なぜなら猫も杓子も「賢明に対処される」発言の一点張りだからだ。最初にこの言葉を使ったのは、幹事長・石破茂だった。うまい言い回しがあるものだと思った。石破にしてみれば、ナンバー2は叩かれるから、ここで安部を怒らせては幹事長留任がすっ飛ぶ、とばかりに考え出した発言なのだろう。これに続けとばかりに、自民党副総裁・高村正彦が「賢明」発言をしたかと思うと、公明党代表・山口那津男も「賢明に対処」だ。しまいには首相官邸の高官までが「賢明」発言だ。まるで安倍の「賢明対処包囲網が」出来上がってしまった。これで8月15日に参拝したらやはり「馬鹿」ということになる。安倍の靖国参拝は7月10日の投稿でマスコミの先頭を切って警鐘を鳴らしたように、実現しないだろう。なぜならこれまで中国と韓国が使ってきた「靖国カード」を、今は逆に安倍が握った形となっているからだ。安倍が就任早々第1次安倍内閣時代に参拝しなかったことを「痛恨の極み」と発言したことがすべての発端となった。これで中国、韓国に、にわかに警戒心が芽生え、春の真榊(まさかき)の奉納に続いて、安倍が終戦記念日に参拝するに違いないという観測が芽生えた。韓国外務省報道官が、終戦記念日の参拝に関し「日本政府が韓日関係の安定的で持続的な発展のため、尽力してくれることを期待する」と述べれば、中国大使館も「日本側の行動が重要」と述べる。もちろん首脳会談の実現のためには、それが必要だというのだ。これは期せずして立場が逆転していることを物語っている。
つまり安倍が「終戦記念日参拝せず」のカードを切れば、首脳会談への段取りが前進することを意味している。別に中国とは譲歩してまで会談する必要も無いが、場合によっては9月上旬のG20に合わせて、簡単な会談が実現するかも知れない。緊張緩和のためには、会釈に毛の生えたような会談でもやっておくことが双方のためになる。従ってここは安倍が「賢明なる判断」をする場面となっており、「賢明なる安倍」は参拝しないだろう。今参拝すれば、気が狂ったと思われても仕方がない。そもそも靖国参拝は心の問題である側面が大きい。従って「英霊の御霊に尊崇の念を現す」方法はいくらでもある。その一つが神社に行く参拝でなく、遙拝(ようはい)である。遙か遠くの靖国神社を拝むのだ。遙拝というと、昔から皇居を思い浮かべる。共産党が見当外れにも怒っているが、伊勢神宮では昭和天皇が逝去した1月7日に皇居に向けて遙拝している。しかし靖国神社遙拝もあるのだ。現に愛知県高浜市の春日神社には「靖国神社遙拝所」がある。石碑にそう刻まれている。これまでごみ置き場になっていたが、参拝者の指摘で気付いて、きれいにした。遺族が遙拝している。安倍もそれだけ尊崇の念を表明したければ、黙って首相官邸執務室から遙拝すればいいのだ。そして首相を退任してから、毎日遙拝していたと発表したらどうか。
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