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2013-07-14 00:00
天皇の地位変更:議論すること自体に問題あり
若林 洋介
学習塾経営
自民党憲法改正案における天皇の地位規定変更に関する条項では、天皇の地位が「象徴」から「元首」へと変更されている。これは余りにも問題のある発想である。もしこの改正条項が、本当に国民に対して発議されたらどういうことになるであろうか。その場合、次のような問題が生じる可能性がある。まず、この天皇の地位変更で、国民世論が二分されることになりかねない。「国民統合の象徴」の役割を果たすべき天皇の存在が、国論分裂の原因となるのである。次に、「元首」案が国民投票において過半数が得られなかった場合にどうするのか、という問題である。この場合、天皇の地位は著しく失墜することになってしまう。
また、発議された場合、さまざまなところで賛成派・反対派の討論会などがなされることになるが、本当に冷静な国民的討論が行なわれるとは思えない。例えば、マスコミの事前調査で、五分五分であるとか、四分六分で「元首」案が否決される可能性あり、ということにでもなれば、保守・賛成派は、何が何でも可決に持ち込もうとして、あらゆる違反行為を行なうことも考えられる。反対に、大勢が「元首」案に賛成の場合は、反対派の意見表明が尊重される雰囲気が保持されるのか疑問である。上記のような、天皇の地位変更をめぐって、賛成派・反対派がカンカン・ガクガク議論することは、二千年以上の長きにわたる日本国の伝統に汚点をつけることになるだろう。
「元首」案が発議された時のことを想像してみるとどうなるか。「私は、象徴のままでよいと思うから反対である」という意見もあろう。また「やはり日本国の『元首』の方がふさわしいと思うので賛成である」という意見もあろう。さらには「天皇の存在など、そもそも必要がないと思うから反対である」という意見さえ出てきかねない。そんな議論が、18歳の若者たちから、ネット討論などでどんどん出てきたらいったいこの国はどうなるのか。想像したたけでもゾッとするではないか。それを天皇陛下ご自身が、冷静に見守っていられるだろうか。
天皇の地位変更をめぐって国民的議論が戦わせられたのは、先の大戦・敗戦直後にあっただけであり、その当時は大日本帝国の国家秩序が崩壊して、混沌とした時代であった。そういう大混乱の時代を乗り越えられたのは、天皇の存在であり、同時に連合国総司令部の強権的統治によって国内秩序が保持されたからである。天皇の存在は、国民がカンカン・ガクガク議論をするような騒々しさの中で、決して安定した不動の地位を保持できるようなものではない。むしろ、あの東北大震災・原発事故のような国家の危機的状況にあっても、また一年毎の総理大臣の交代や、三年・四年の政権交代のような政治の不安定な状況にあっても、揺るぐことなく、静かに国民の幸福を願い、国家の繁栄と、世界の平和をひたすら祈念し続ける、象徴天皇の姿にこそ、その本領が発揮されると思うのである。
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