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2013-05-13 00:00
(連載)自由民主主義を守れ(1)
加藤 朗
桜美林大学教授
フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」(『ナショナル・インタレスト』1989年、夏号)で高らかに自由民主主義の勝利を宣言し、歴史は終わったとまで言い切った。東欧諸国の民主化、ソ連の事実上の敗戦というまさに世界史的な国際情勢の変化を受けて、フクヤマの高揚感はアメリカ国民ならず日本を含めて西側諸国民に共通する感情だったろう。
そのフクヤマが「歴史の未来-自由民主主義は中産階級の没落から生き残ることができるか」(『フォーリン・アフェアーズ』2012年、1月/2月号)と題する論文を寄稿している。現代の世界標準の思想(the default ideology around much of the world today)である自由民主主義を支えている中産階級が、産業構造のスマート化や経済のグローバル化で衰退しており、自由民主主義の「歴史の未来」が危機に瀕している、というのである。中でも、自由民主主義に対する「単一で最も深刻な挑戦」は、部分的な市場経済と専制政府が合わさった中国である、というのである。
フクヤマの見立て違いやご都合主義的な世界解釈をあげつらうつもりは毛頭ない。冷戦終焉直後に中国の台頭を予想できた者はほぼ皆無だった。ましてや、中国が資本主義経済を導入し事実上共産主義を放棄する一方共産党独裁を堅持することなど予想もしなかった。いずれ中国も自由民主主義に基づく政治経済体制が樹立されると思われていた。しかし、中国は民主化されるどころか、独裁的政治をますます強めつつある。
こうした現在の世界を、山本吉宣らは「先進国/新興国(ポストモダン/モダン)複合体」(『日本の大戦略』)と呼んでいる。フクヤマもナショナリズム中心の歴史国(モダン)とグローバリズム中心の脱歴史国(ポストモダン)の混在する世界を想定していたが、それはあくまでもいずれ世界はポストモダンになるとの予想があった。しかし、ポストモダンの指標が自由民主主義とすれば、モダン国家はモダンにとどまり続けるだけでなく、山本らも懸念するように欧米や日本のような自由民主主義のポストモダン国家がモダン国家に逆戻りする可能性さえある。(つづく)
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