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2006-09-01 00:00
ユーラシアには「複眼的」外交を
河東哲夫
早稲田大学客員教授
小泉首相の中央アジア訪問(8月28-31日)が終わった。これまで対中関係なら中国と、対ロ関係ならロシアだけを相手にしてきがちだった日本としては珍しく、「複眼外交」を展開したことになる。なぜか?「中央アジアはロシア人が統治している未開発の地域」というのが、日本での一般的な理解なのだろうが、実際には中央アジアはアムダリヤ、シルダリヤの両大河のほとりに咲いた古い古い文明だ。ここをロシアが植民地化したのは19世紀のことで、それまではペルシヤ、アラブ、トルコ、モンゴル系など100にも及ぶ人種、民族が数1000年にわたる歴史をつむぎあげてきた地域である。
ロシアの植民地となってからは、新彊からモロッコまで及ぶ大きな「オリエント」文明圏から切り離され、我々の意識からも遠ざかったが、1991年ソ連が崩壊すると、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスの5つの国となり、ロシア、中国、米国、イラン、トルコ、EUなどが影響力拡大を競り合うこととなった。9月11日テロ事件以後、米国がこの地域の基地使用権を得ると、その競り合いは一層目立つこととなった。
この地域は石油、天然ガス、ウランなどの資源に富んでもいる。そしてこれら資源をどの国を通るルートを用いて世界へ輸出するかという問題も、微妙なパワーゲームをはらむことになる。そしてユーラシア大陸を碁盤に例えると、中央アジアはいわゆる「天元」の位置にある。ここへの布石は必須であり、ここに布石をしておけば様々な手が展開できるということだ。ロシアの下腹、そして中国新彊地方の裏庭に相当する中央アジアに日本が布石を打つことは、日本の対ロ、対中外交上での立場を高めることになるだろう。
それは、反露、反中政策を展開するために中央アジアでの外交を強化するべきだという意味ではない。中央アジアを特定の国々が独占するようなことは、他ならぬ中央アジアの国々にとっても、また世界全体にとっても望ましいことではない、ということだ。米国がウズベキスタンでの基地使用権を失った今、日本が何も布石を打たないと、ユーラシアの東半分はロシア、中国の独壇場となるだろう。それは、東アジアにおける日本の発言力を弱めることになる。なぜならロシア、中国は、「ユーラシアの東半分を代表するのは自分達だ」という旗印の下、東アジアでの協力推進についても大きな発言権を要求することになろうからだ。
時代はダイナミックに動いている。北朝鮮がミサイルを発射する直前には、米国第7艦隊の旗艦ブルーリッジが上海とウラジオストクを「友好訪問」し、北朝鮮に示威をしている。日本はこのパワーゲームにどのくらい加われていたのだろうか。北朝鮮の目には、日本の存在感はどの程度のものだったのだろうか。感情論で外交を動かすよりも、このような周りの動きを冷徹に見て、等身大の外交を展開することが、現在の日本には必要なのだと思う。その点、今回の小泉総理のカザフスタン、ウズベキスタン訪問は、具体的成果に乏しいようでいて、実際には訪問が行われたこと自体が周辺の諸国にはメッセージとして十分伝わり、目的を十二分に達成したと言えるのだろう。そしてそのことは、他ならぬ人民日報が論説を掲げて、この訪問の戦略的意味を正しく評価したことにも表れている。
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