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2006-08-30 00:00
すでに「共同体」であるインドと中国の苦しみ
長岡 昇
朝日新聞論説委員
「東アジア共同体」構想はこれからどのような道をたどるのか。結実するにせよ、頓挫するにせよ、その大きな鍵を握るのが中国とインドの動向であることは異論のないところでしょう。その両国のことを考えるときに、私たち日本人が見落としがちなのは「中国もインドも、すでに『共同体』と呼ぶべき存在であり、その共同体を維持するために悩み、苦しみ続けてきた」という事実ではないでしょうか。
インド北部にウッタル・プラデシュ州というのがあります。インドの縮図と言われる州です。人口は約1億6千万人。ここだけで、日本の人口を軽く上回ります。争いが絶えない州です。ヒンドゥー教徒やイスラム教徒、キリスト教徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒が混在し、そのうえカースト差別の問題もあります。実際、新聞記者として血なまぐさい抗争を取材し、憎しみをあらわにする人々を何度も目にしてきました。一つの州だけでも大変なのに、インドには5千万、6千万の人口を抱える州がいくつもあります。フランスやイタリア並みです。それぞれの州がウッタル・プラデシュに劣らず、困難な問題をたくさん抱えています。
日本語では「州」と表記しますが、それぞれの州が違う言語を使っていることなどを考えれば、州の実態は「自治共和国」に近く、私は「第2次大戦後に独立した時点で、インドは一種の『共同体』として出発したのだ」と見ています。その点では、列強の圧迫と戦い、国民党と共産党の内戦を経て統一を成し遂げた中国も共通するものがあるのではないでしょうか。
インドも中国も、周りと地続きであるがゆえに常に外敵の侵入と征服にさらされてきました。どちらの歴史も、海という防壁に囲まれた日本や米国とは比べものにならないほど過酷です。選び取った政治体制は違うものの、両国とも何とか10億を超える人々をまとめ上げ、国としての統一を保ってきました。そして、いま、より大きな「東アジア共同体」づくりにひと肌脱ごうと身を乗り出してきたのです。日本としては、両国のこれまでの共同体運営の知恵に敬意を払いつつ、懐をぐいっと広げて、その語るところに耳を傾けたい。そうした度量と気概を示せないものでしょうか。
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