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2012-10-15 00:00
(連載)尖閣問題はキッシンジャー外交の負の遺産(1)
加藤 朗
桜美林大学教授
尖閣問題を考えるとき、大きく分けて二つの視点がある。第一は歴史、第二は政治である。前者の視点に立てば、尖閣問題は日中の二か国の問題となる。他方、後者の視点に立てば、尖閣問題は日中の問題ではなく、米中の問題となる。我々日本人は前者の視点にばかり目を奪われがちだが、より重要なのは、後者の視点である。なぜなら前者の視点に立つ限り、中国には全く分がないからである。しかし、後者の視点に立てば、われわれに分がないのだ。
中国の主張は、要するに、尖閣は少なくとも明の時代から中国のものであり、1895年の日本の尖閣領有宣言は日清戦争の混乱に乗じて日本が中国から「盗み取った」との主張である。中国の主張の問題点は、国境概念のない明時代の『使琉球録』を根拠にしていることだ。封建帝国の時代の国と国との境界は、線で境界を引くのではなく、面で境界がおかれたのである。琉球が日本と明との両属体制下に置かれていたのは、琉球が幕府や明にとっても辺境の地だったからである。ましてや尖閣は中国の冊封体制下では、皇帝の徳の及ばない化外の地であり、現代の国際法で定められるような領土などではなかった。
国境で囲まれた領土の概念が誕生したのは、主権概念が明確化された近代主権国家になってからである。明治維新によってアジアで初の主権国家として誕生した日本は、主権の確立を図るために、千島、樺太、小笠原諸島、竹島そして尖閣列島と日本の主権の及ぶ範囲を確定したのである。尖閣列島領有を宣言したとき中国は清帝国時代であり、華夷秩序の化外の地であった尖閣を主権の及ぶ領土と主張する近代国家にさえなっていない。中国は、意図せずにかあるいは意図的にか、主権国家の国境概念と封建帝国の辺境概念を混同させている。
意図せずにであれば、中国はいまだに近代主権国家概念の根付かない封建帝国の世界観を抱いていることになる。封建帝国の辺境は国力次第で伸びたり縮んだりする。だから封建帝国の世界観に立てば、国力が増大しつつある中国が尖閣さらには琉球までをも「回収」しようとするのは当然のことなのだろう。もし、中国が前近代的な帝国的世界観に立った外交を仕掛けているのであれば、日本の戦略はまさに国際法に則って中国と堂々と対応し、他方近代主権国家である米国やインド、オーストラリアと協力して中国に近代主権国家のルールを順守させ、さらに日本と同様に中国と領有権問題争っているフィリピン、ベトナムなどと共闘して中国を封じ込めればよい。(つづく)
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