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2012-09-09 00:00
(連載)「東アジア共同体」への私見(2)
袴田 茂樹
新潟県立大学教授
「東アジア共同体論」に関して私が抱いた最大の疑問点は、国家主権に関するものである。それが単なる東アジア諸国の協力機構とか経済協力体ではなく、「共同体」と言う以上、国家主権の重要部分を上部の機関に委譲する(結果としてヒト、カネ、モノの域内での自由な移動が実現する)のでなければ意味がない。ポイントは、はたしてその可能性が東アジアに存在するか、という問題だ。東アジアには、そのための条件はまったく存在しないと私は考えている。国家主権の対立は冷戦後でも緩和されるどころか、ますます厳しくなっているからだ。「東アジア共同体」論の最大の弱点は、主権問題の軽視にある。
われわれのプロジェクトの一環として、公開シンポジウムを青山学院大学で開催したことがある。このとき、私はセッションの司会者を務めたが、プロジェクトの共同研究者でシンポジウムの討論者として同じ壇上に座っていた天児慧氏に、率直にこの疑問点を述べた。元同僚で親しい友人でもある氏の近著には、東アジア共同体への肯定的な言及がある。しかし、国家主権の問題が無視あるいは軽視されているのではないか、と。ちなみに、尖閣問題が先鋭化した2012年の夏に、中国社会科学院の国際問題、日本問題の専門家たちと内輪の非公開会合をもち、率直な意見交換をしたことがある。その時、中国のある専門家は尖閣問題に関連して、「われわれは日本の天児慧教授の共同主権論に注目しているが、日本外務省の圧力ゆえか、最近教授はその考えを述べるのを差し控えているようだ」と述べたのが印象的だった。
第2次大戦後の、あるいは冷戦後の世界では、主権国家が対立し戦争を幾度も起こした近代(モダン)世界が克服され、脱近代(ポストモダン)の安定した平和世界が構築されるという理想主義的な期待が一時高まった。経済的利害の立場からも、国家を超えた地域統合の動きは現実の事象として広まった。こうして、東アジアにおいても、政治的にも経済的にも、地域統合の推進がより合理的だとの考えが生まれた。この流れの中で実際に生まれた幾つかの地域統合の組織が無視できない成果を挙げたのも事実である。
しかし、冷戦後の世界は、そのような地域統合の試みにも拘わらず、冷戦時代よりもより不安定となり、民族・宗教紛争や領土や主権をめぐる対立はかえって強まっているというのも厳然たる事実だ。主権を乗り越えるという意味での地域統合の諸条件はまだまだ存在しない。筆者が「東アジア共同体」に批判的な理由も、国際関係において依然として主権問題を無視できないと考えているからである。単行本として最近市販された論文集(『国際政治から考える 東アジア共同体』ミネルヴァ書房)には、本プロジェクトの中ではやや異論とも言える私見を率直に述べさせて頂いた。そのことが結果的に、この問題に関する議論の彩りを多様にし、彫りを深くすることに貢献することを願っている。(おわり)
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