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2012-08-07 00:00
(連載)ユーゴミサイル輸出と「平和利用」(2)
鈴木 一人
北海道大学大学院法学研究科教授
しかし、ESAの平和利用は、日本の平和利用と解釈が異なる。1969年の決議では、日本の平和利用は、防衛省や自衛隊の予算を使うことも、宇宙技術を開発することも、宇宙機器を保有することも、宇宙政策に口を出すことも認められなかった。すなわち「非軍事」という解釈であった。他方、ESAでは、加盟各国の安全保障政策が異なっていることもあり、軍事目的の技術開発は行わなかったが、加盟国の軍がESAで開発した衛星通信や地球観測の技術を応用することを止めることはなかった。しかも、冷戦後には、安全保障の概念が変化したとして、ESAが積極的に安全保障問題に関与し、GMES(Global Monitoring for Environment and Security)、すなわち環境と安全保障のグローバル監視というプログラムを実施し、各国の軍隊と協力して衛星開発や衛星データを平和維持活動や海賊対処活動などへの利用できるような体制を整えている(この点に関しては2012年7月8日の毎日新聞の『論点』で議論したのでそちらもご参照ください)。
さて、話は脱線したが、朝日新聞の記事を手がかりに、かつて拙著で論じた日本における平和利用の問題を改めて考えてみたい。1969年の「宇宙の平和利用原則」決議がアメリカの技術移転によって引き起こされたことは、二つの点で日本の政治と技術と安全保障の問題でおかしな点を感じる。一つは、日本はそれまで軍事的に転用可能な技術を保有しており、それが具体的に他国に輸出され、軍事転用されているにも関わらず、「科学者がやっていることだから平和利用だ」という思い込みに基づいて、問題提起がなされなかったことである。
もう一つは、アメリカの技術だから軍事的である、という決めつけが幅を利かせたということである。アメリカの技術は悪であり、日本の独自技術は善であるという、全く根拠のない善悪の判断がベースにあった、ということがいえる。この二点によって導き出されたのが「宇宙の平和利用」原則であるとすれば、そのおかしな解釈や基礎となっている思い込みを一度払拭し、新たに問題を立てなおして、安全保障と科学技術の関係を考えなければならないだろう。これが毎日新聞に寄稿した文章のメッセージである。
しかし、せっかく、「日本人が独自で開発した技術=善」という思い込みを払拭する記事を朝日新聞が取り上げたのに、その解説記事は、そうした問題点に切り込むことをせず、おかしな方向に議論を展開している。ここでは、まず「海外からは軍事転用の懸念を抱かれてきた」として、ガイアツによって宇宙科学研究所のロケットが輸出されたことが批判され、その結果、武器輸出三原則につながった、という議論にしている。確かに、武器輸出三原則をもたらしたガイアツは存在したが、それでもなお、国内では「宇宙の平和利用」原則についての議論がなされていなかった、ということが重要な問題なのである。つまり、日本は自発的に宇宙開発研究所のロケット開発の軍事転用可能性について懸念を示したことはなく、「日本人が独自で開発した技術=善」という図式を、ガイアツを受けた後でも持ち続け、外国に輸出さえしなければ、国内で軍事転用可能な技術を開発することは問題ない、という判断をしていたのである。(つづく)
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