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2012-07-10 00:00
民主党分裂で問われる首相の覚悟
高畑 昭男
ジャーナリスト
野田佳彦首相が「政治生命」を懸けた消費増税関連法案が衆院を通過した。採決で反対に回った小沢一郎元民主党代表らのグループは7月2日、離党届を提出し、民主党は分裂した。ここまでたどり着くには、いくつもの難しい決断を要したに違いない。この後も、さらに多くの厳しい決断が待っていることだろう。そんな首相に米大統領リンカーンの話を贈りたい。「人民の人民による人民のための政治」で知られるリンカーンは、アメリカ型民主主義を代表する指導者に数えられる。だが、常に多数決原理に従っていたわけではない。ある時、閣議で閣僚7人全員に反対された。だが、リンカーンはすました顔で「反対7、賛成1。よって賛成に決まりました」と決裁を下したという逸話が有名だ。
これには制度の違いもある。議院内閣制の日本では、何を決めるにも閣議で全員の承認が必要だが、米国の閣僚は大統領が決断を下すための「助言者」にすぎない。だから、たとえ全閣僚が反旗を翻しても、好きなように決めることができる。それだけに、責任もまた重い。奴隷解放を掲げてリンカーンが指揮した南北戦争(1861~65年)では、両軍合わせて62万人以上の死者を出し、第1次大戦(米側死者12万人)、第2次大戦(40万人)、ベトナム戦争(5万8千人)など米国が戦った数ある戦争の中でも犠牲者の数としては最悪の水準にのぼる。米国の人口は今や3億人を超えたが、南北戦争の時代にはざっと3千万人余しかなかった。南北両軍の総兵力が320万人足らずだった事実も考えるならば、とてつもない犠牲を払ったといえる。
リンカーンにとって、連邦国家が二つに引き裂かれるのを防ぐには、開戦が避けられない決断だった。それにしても、結果として親・兄弟、同胞らが互いに殺しあった傷は深く、大きい。そのために、リンカーンは政敵から「非情の人」、「原理主義者」、「頑固者」などとひどいレッテルを貼られ、その揚げ句には暗殺されてしまった。政治生命というよりも、生命そのものを懸けた決断だった。大統領が「孤独な独裁者」と呼ばれるのは、このように、すべての決断を独りで下さなければならないからだ。カーター大統領は、ホワイトハウスのテニスコートの利用順番まで自ら決裁したという。これは確かにやりすぎだ。しかし、国家の命運が懸かるような決断は、閣僚であれ、補佐官、側近であれ、誰のせいにもできない。大統領たる者、失敗も成功もすべてを背負って歴史の評価に身を委ねる運命だ。リンカーンは共和党だが、民主党のオバマ大統領がしばしば「政治の手本」として尊敬するのは、そうした決断と責任を立派に果たしたという評価によるものだろう。
幸いにして消費増税は、大量の戦死者を生むような問題ではない。それでも、社会保障の一体改革と併せて、国家百年の基盤にかかわる重要課題であるのはいうまでもない。党内融和だとか、総選挙を意識した党利党略といった小事に惑わされないことが肝心だ。また、その結果について速やかに衆院を解散し、国民に信を問うことも欠かせないことだろう。伝記などによると、リンカーンはきまじめな性格からくるストレスに耐えるため、ジョークやだじゃれを連発したという。このあたりは野田氏と似たところがなくもない。野田政治の手法は後手後手に回ることが多く、歯がゆくみえることも否めない。しかし、ここは歴史にどう刻まれるかの瀬戸際だ。重責に背を向けず、民主党政権になって生じた日本政治の巨大な閉塞感をぜひ打破してほしい。それには、分裂した民主党を改めて根底からぶっ壊すぐらいの覚悟も必要だ。
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