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2012-07-08 00:00
(連載)官邸前原発再稼働反対デモに感じた違和感(1)
鈴木 一人
北海道大学大学院法学研究科教授
6月29日に行われた官邸前の原発再稼働反対デモは主催者発表で15万人とも20万人とも言われ、警察発表では1万7千人と言われる大規模なものであった。これだけ多くの人が集まり、自らの立場を主張するということは、注目に値するし、その政治的な影響力についての関心が向く。しかし、私はこの原発再稼働反対デモに対して、何とも言えない違和感を持った。それは、このデモが「関西電力大飯原子力発電所」の再稼働を具体的な対象としているデモだったからだ。この違和感を説明するのに、少しこれまでの経緯を整理しておこう。大飯原発の再稼働についてのこれまでの経緯を振り返ると、定期点検で1年3ヶ月前に停止していた大飯原発3、4号機の再稼働に関して、関西電力がストレステストの一次評価を提出し、それを原子力安全保安院が承認し、原子力安全委員会は「ストレステストの一次評価だけでは不十分」という立場を取りながらも、この再稼働について抵抗も阻止もせず、関係閣僚の決定によって政府は再稼働の立場をとった。その上で「地元の理解」を得るため、大飯町と福井県に諮り、大飯町議会は再稼働を認めたが、福井県知事は「消費地の理解を得ること」を条件にした。
この時、福井県知事が求めた「消費地の理解」というのは、大飯原発再稼働に反対の立場をとっていた大阪府市エネルギー戦略会議、そして「被害地元」という概念を生み出して、再稼働に必要な「地元の理解」に関与することを求めた京都府と滋賀県の理解を得ることを意味していた。これらの自治体は関西電力管内の自治体であり、大飯原発の電気を消費する自治体であることから、原発が再稼働しない場合、その影響を被る自治体でもある。その「消費地」たる大阪府市や京都府・滋賀県が反対するのに、わざわざ原発のリスクに直面する福井県が積極的に消費地の反対を押し切って再稼働する意味はない、という理屈はわからないでもない。原発を再稼働することは福井県にとっては雇用や財政という観点からすればメリットがあるが、原発事故のリスクが福井県よりも小さい遠隔地のために、自らが大きなリスクを取る必要はない、と判断するのはやぶさかではないだろう。
しかし、結果として、大飯原発の再稼働をしなければ、消費地における電力不足は深刻なものになりかねないという計算結果が出て、それを踏まえて大阪府市や京都府・滋賀県を含む、関西広域連合は、最終的に再稼働を容認する立場をとった。その結果、福井県も再稼働に応じる方向で、最終的な再稼働の条件として、野田総理に対し、総理の口から国民を説得してほしいとの要請があり、それにこたえる形で野田総理は6月8日に記者会見を行った。これにより、すべての条件が満たされたとして、大飯原発の再稼働に至ったのである。この経緯を振り返って、何に違和感を感じたかというと、大飯原発の再稼働は、関西の問題(より正確には関西電力管内の問題)であり、首相官邸前に集まった多くの非関西居住者(もちろんその中には関西出身の人もいるだろうし、関西から来た人もいるだろう)が口を出してよいものなのかどうか、という点であった。
仮に野田総理が原発再稼働反対デモを見て、自らの決断を覆し、再稼働を中止するという判断をした場合、関西電力はもちろんのこと、福井県の原発関連の従業員や、関西電力管内の消費者にとって大きな影響をもたらす結果となる(電力不足が起こらない可能性もあるが、それでもより厳しい節電は必然の状態となる)。しかし、大飯原発が再稼働しても、しなくても、電力供給に影響のない多くの非関西居住者が、関西の人たちの運命を決めることは正しいのだろうか、という違和感である。誤解のないように書いておけば、私は原発再稼働に反対する人たちが、その意思を表現することは正しいことだと思っているし、それは積極的になされるべきだと考えている。デモが否定される社会、自らの意見を表明することができない社会には断固として戦う意思もある。しかし、今回の官邸前で行われたデモについては、どうしても納得できない部分があった。(つづく)
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