ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
本文を修正後、投稿パスワードを入力し、「確認画面を表示する」ボタンをクリックして下さい。
2006-07-26 00:00
新しい現実を恐れずに古い常識を疑ってみる
進藤榮一
筑波大学大学院名誉教授
四条秀雄氏(2006年6月29日付け投稿)と関士郎氏(2006年7月1日付け投稿)の貴重な批判と補完に感謝いたします。ただ誤解を恐れずにいえば、批判投稿コメントは、少し程度が低すぎるのでは。少なくとも『東アジア共同体と日本の針路』(NHK出版)をお読みになることを勧めます。
関氏の補完コメントについては、貴重な指摘です。字数の制約もあって本論で十分展開できませんでしたが、なおも議論の余地があります。歴史家なら、東アジアとラ米や欧州との違いを「初期条件のわずかな差」(ウォーラースタイン)から来たと説くでしょう。開発経済史家なら「後発性の利益」を指摘しましょう。ただ確かなことは、第1に、かつての産業革命のように情報革命もまた、産業構造の大転換をもたらし、従来の先発諸国家群(19世紀の英国、20世紀の米ソ)の産業上の優位性の終焉を促していかざるをえないこと。第2に情報革命自体が、国境をまたいだネットワーク分業を進めるために、地理的に近接しながら相対格差のある東アジア地域の統合要因と化していかざるをえないことです。その意味で「情報革命がグローバル化を介在して格差を拡大し、米国覇権を強めるだけだ」という類の、デジタル・デバイト論は神話にすぎません。その現実を、東アジア発展と「アジアの時代」の到来は、逆証しているのです。まずは(「発展するアジア」のような)新しい現実を恐れずに見ること。そして(「日米経済共同体」のような)古い常識を疑ってみることです。北海道や山陰を、アジアの後発地域に擬するなど、議論以前の議論です。
投稿パスワード
本人確認のため投稿時のパスワードを入力して下さい。
パスワードをお忘れの方は
こちら
からお問い合わせください
確認画面を表示する
記事一覧へ戻る
東アジア共同体評議会