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2012-04-09 00:00
日本にサッチャーは出ないのか?
高畑 昭男
ジャーナリスト
メリル・ストリープ氏がサッチャー英首相を演じる英映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(邦題)を見てきた。ストリープ氏は米ハリウッドの大女優で、リベラルなヒラリー・クリントン国務長官とも親しい。一方、監督を務めた英国人女性のフィリダ・ロイド氏は、サッチャー氏の政策が「大嫌い」だったそうだ。それだけに、保守政治家のサッチャー氏に手厳しいのでは…と若干心配したが、どうして迫真の「サッチャー流」が随所に再現され、なかなかの胸を打つ内容だった。「女性パワー」が見直される今、ストリープ氏もロイド監督も、政策は別として女性同士の連帯感をサッチャー氏に見出したのだろうか。
映画では、国会議員をめざす若き日の彼女が「声がカン高い」といわれて、発声訓練にいそしむシーンがある。そういえば、英国特派員だった私にも思い出がある。1987年3月、ゴルバチョフ・ソ連書記長への答礼のために彼女がモスクワを訪問し、ソ連外務省の施設で内外記者会見に臨んだときのことである。数百人は収容できる大講堂だったが、いざ会見の段になって突然、機器が故障したのか、マイクロホンが作動しなくなったのだ。だが、サッチャー氏は涼しい顔で「マイクが故障?いいわ、地声で話します」。はるか後席の記者たちに「あなた方、聞こえる?オーケー、始めるわ」とオペラや舞台女優のような朗々たる肉声で首脳会談の成果を語り始めたのだ。立ち会い演説や英議会で聞き慣れた野太い声(女性に失礼かもしれないが)が、静まり返った講堂に響き渡っていった。
その堂々たる声量、明確な言葉。指導者たる者、マイクがあろうがなかろうが自らの主張を必ずや聴衆に届けるという「政治家サッチャー」の気迫を目撃した。「鍛え方が違うな」と鳥肌が立つような感動に打たれたのを覚えている。映画にも描かれた発声訓練のたまものだろう。初めて参加した東京サミット(G7)では、「女性宰相の感想は?」と聞かれて「私は女性である前に人間です」と答えた。国会でファッションショーめいたことをしたり、「女性」ということしか売り物がないようなどこかの国の議員らとは違う。首相を務めた80年代は米国のレーガン大統領、西独のコール首相、日本の中曽根康弘首相らとともに、保守の黄金時代を築いた。自由と民主主義、市場経済、人権などの「西側の価値」を国際社会全体の普遍的原則へ高めたといってもいい。
そうした時代の蓄積が冷戦を克服し、21世紀に入って以降も中国の不透明な軍拡をとがめ、国際ルール無視の行動をたしなめる大切な規範的価値となっている。「アラブの春」の推進力にもつながっている。内政では「自立・自助」の精神を掲げて社会保障、教育、国防、財政を改革し、炭鉱労組などと敢然と戦って、「英国病」を克服した。今の時代からサッチャー政権全体をふりかえって眺めれば、功罪さまざまな評価もあるだろう。だが、今も変わらないことは、サッチャー政治の真骨頂が何よりも原則を明示し、決してぶれない姿勢を貫いたことにあると思う。湾岸戦争の際に、ブッシュ父大統領に「ジョージ、ぶれてはだめよ」と助言したのも有名だ。「信念の政治家」と呼ばれたサッチャー氏の功績を今また見直す動きが英国内でも出ているという。北朝鮮のミサイル発射が迫り、消費増税問題を抱える中、日本の民主党政権はぶれてばかりいる。「決められる政治」を実現するために、この国にも「鉄の女」が早く現れてほしいと思う。
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