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2012-03-05 00:00
(連載)自民の憲法改正原案における安全保障関連条項への論評(2)
高峰 康修
日本国際フォーラム客員主任研究員
三つ目に、自衛権に関する規定についてである。第二次原案は、戦争放棄を謳った第9条第1項を残しつつ、「自衛権の行使を妨げない」としている。第9条第1項は、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)の内容ほぼそのままであり、残すことに異論はない。それでは、「自衛権の行使を妨げない」という規定はどうか。これは、一見、憲法第9条にまつわる神学論争に終止符を打つ結構なもののように思われるが、必ずしもそうとも言えない。
不毛な神学論争の象徴的事例の一つとして、集団的自衛権行使の可否がある。現在の内閣法制局の解釈は、よく知られている通り、「わが国が、国際法上、集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」というものである。
すなわち、自衛権を個別的と集団的に峻別して、そのうち集団的自衛権の行使は容認しない、といっているのである。国連憲章第51条には確かに「個別的又は集団的自衛の固有の権利」とあり、あたかも両者は峻別できるかのように受け取れるが、それは誤解である。自衛権は、国連憲章のフランス語正文を直訳すれば「正当防衛権」である個別的自衛権と集団的自衛権の違いは、敢えて言うならば、直接的か間接的かであり、本質的には自国を防衛する権利であることに変わりはない。その行使の態様は、法的議論に求められるべきではなく、政治判断によるべきものである。「自衛権の行使を妨げない」と規定しても、自衛権を個別的と集団的に峻別するという誤った解釈を改めない限り、神学論争に終止符を打てるとは限らない。
一案は、「個別的及び集団的自衛権の行使を妨げない」とすることだが、やはり奇異な印象を受ける。それ以前に「自衛権の行使を妨げない」という規定自体、当然過ぎることをわざわざ書いているという意味で、いささか奇異である。やるべきことは、現行の政府解釈を直ちに改め、自衛権に関する解釈を国際的に常識的なものとすることであり、そうすれば、憲法にわざわざ「自衛権の行使を妨げない」といった規定を置く必要はなくなる。自民党の憲法改正第二次原案は、少なくとも、安全保障関連に関する限り、大筋の方向性は間違っていないように思う。成案に期待するとともに、それを叩き台として、より深い議論が進むことを望みたい。(おわり)
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