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2012-02-29 00:00
前原はマスコミとのけんかの仕方を知らない
杉浦 正章
政治評論家
産経新聞記者の記者会見出席拒否問題は、結局民主党政調会長・前原誠司が一転して出席を認め、決着した。2月23日以来一週間で、前原の“完敗”に終わった。一連の動きを観察していたが、どう見ても前原は政治家として幼い。マスコミとのけんかの仕方を知らない。よく首相・佐藤栄作の最後の記者会見との類似性が言われるが、佐藤とは比べものにならない幼稚さがある。本格的な首相候補になるには、坊主になって1000日修行でもしてくる必要がある。産経は前原に対して「言うだけ番長」とネーミングして、それを過去に16回も使ったという。この「言うだけ番長」は1967年から71年まで続いた人気コミック「夕焼番長」をもじったもので、新党日本の田中康夫が名付け親だ。八ッ場ダムのいきさつからいって、見事なニックネームだ。前原にしてみれば確かに産経の記事は神経逆なで型だ。とりわけ前原が怒りを爆発させたとみられる19日付の記事は、「前原氏『言うだけ』また露呈、輿石氏『尻ぬぐい』に奔走」と見出しを取り、国家公務員給与削減をめぐる民主、自民、公明の3党基本合意の内幕をえぐっている。そして「言うだけ番長の能力不足はもはや取り繕いようがない」と決めつけている。
前原でなくても、敵意と悪意に満ちた記事と受け取れる性格のものだ。しかし、前原はこれにまともに反応してしまった。それも、もっとも稚拙な会見出席拒否という対応だ。実は前原には“前科”があり、報道されなかったが、北海道新聞記者など2、3人に対しても出席拒否を宣言しているのだ。産経はもともと民主党政権発足以来、徹底した反民主党のキャンペーンを続けており、かねてから不満をうっ積させていたに違いない。しかし、けんかのやり方を知らない。その点佐藤は、けんかのやり方を知っていた。佐藤は普段から自らの発言に対する新聞の“コメント”に不満を持ち、秘書官の楠田實に「真意が報道されない」と不満を漏らしていた。そして政権7年8か月の最後の最後で怒りを爆発させたのだ。佐藤は退陣会見で「テレビカメラはどこかね?新聞記者の諸君とは話さないことにしてるんだ」と言い放って、まず記者団の退去を求めた。そして、ひたすら無人の会見場でテレビカメラ相手にしゃべり続けた。佐藤のけんかは我慢に我慢を重ねて、退陣直前に堪忍袋の緒を切ったのだ。
新聞は社説でたたいたが、後の祭り。政権は終わったから、何の痛痒も感じないのだ。佐藤のけんかのすごさは西山太吉事件でも発揮された。外務省の機密漏洩事件だ。1972年、西山は、沖縄返還に絡んで簿外の400万ドルが動いたことを知ったが、記事にせず、社会党に証拠を渡して、政局にしようとした。外務省高官の女性秘書を籠絡しての取材だった。これを東京地検を使って摘発したのだ。地検は起訴状で「外務省の女性事務官と密かに情を通じ、秘密漏洩をそそのかした」と取材の実態を浮き彫りにしたのだ。最高裁まで行って有罪が確定したが、本物の政治家の“けんか”のすごさをまざまざと感じさせるケースであった。佐藤は新聞に対しては、勝つけんかしかせず、普段は我慢の子であった。佐藤と比べれば前原のけんかは児戯に等しい。くちばしの黄色さが目立つのだ。
一つは、政治家にとって一番危険なヒステリックな対応であることだ。産経が反民主党政権であることは、誰が見ても明白であり、これにまともに反発すれば、待ってましたとばかりに、3倍の反発を食らうことを知らない。こと言論の自由の問題に関わると、マスコミは当然のことながら一致結束する。産経とは対極にある朝日までが社説で批判する結果を招いた。第二に、「口だけ番長」の表現は誰が見てもうなずけるものであることだ。なぜなら国交相の時は八ッ場ダムの工事を「マニフェストに書いてある」という理由だけで中止宣言したが、着工が固まり、以来発言はない。外相時代は尖閣事件で官房長官・仙谷由人とつるんで船長釈放に動いて、米国務長官・クリントンに「近く解決します」といち早く情報を伝えたが、その後は知らんそぶり。要するに、重要ポイントであっけらかんとして軽いのだ。最近も永田町では誰もが首をかしげる維新の会に大接近。あの「船中八策」なる愚策を、「われわれの考え方とかなり共通する」と絶賛。みんなの党と競わんばかりのすり寄り方だ。維新の会のブームで問われているのは、既成政党の毅然(きぜん)とした態度だ。すり寄り政治家では、とても国政を委ねられない。
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