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2011-12-05 00:00
オフレコ破りには取材源が“逆襲”する
杉浦 正章
政治評論家
クビになった前沖縄防衛局の田中聡の発言は言語道断だが、これも表に出なければ「発言」にはならない。記事にしたのは琉球新報記者であるが、発言はオフレコを前提にしたものであり、結果的にはオフレコ破りとなる性格のものであった。この経緯を観察してあえて言わしてもらえば、筆者だったら絶対にオフレコを破って書くことはない。なぜなら記者の財産は取材先との信頼関係であり、それを破ることは、自らの存在を否定し、国民にとって不可欠なより一層重要な情報へのアクセスを不可能にする可能性があるからだ。多数で懇談する場で得た情報を書くには、出席者全員の同意が必要だ。琉球新報が「『犯す前に言うか』田中防衛局長 辺野古評価書提出めぐり」と報じたのは、先月29日。記事の末尾に「田中局長は非公式の懇談の席で発言したが、琉球新報社は発言内容を報じる公共性、公益性があると判断した」とオフレコを破った理由を説明している。確かに沖縄タイムズ紙との激しい競争がある中で、この記事を書けば、県民の感情を刺激して、大きな共感を買うことは間違いなく、あえてオフレコを破ってでも報道したくなるテーマであろう。報道すれば確実に政権を直撃する“英雄”にもなれるテーマである。表に出てしまえば、公共性も公益性も確かにあるし、その場に居合わせた記者の感性が「県民として許しがたい暴言」と受け取ったであろうことも、十分理解出来る。
しかし、冒頭述べたように、書いてはじめて「公共性、公益性」の論議が「始まる」のであり、琉球新報の理由づけはあえてオフレコを破る真意については語っていない。職業には「掟」と言うものが必ずある。例えは悪いが、「指詰め」が象徴する暴力団のそれから、ホワイトハウス詰め記者団の紳士協定(a gentlemen\'s agreement)にいたるまで様々だ。ホワイトハウス詰め記者の場合も少数によるオフレコ懇談があるが、ウオーターゲート事件の激しい政局取材合戦の最中でも、オフレコ破りがあったという例は皆無であった。防衛局長の懇談に出席していた朝日新聞の那覇総局長が12月3日付朝刊の〈記者有論〉で「いまこう書くのは大変気が重いが、たぶん記事にしなかったのではないか、と告白せざるを得ない。酒の席で基地問題を男女関係に例え、政府が意のままに出来るかのように表現するケースは、防衛局長に限らず、時々聞いたことがあるからだ」と述べていることは、注目される。出席者の大半がこうした考えであったことを物語るからだ。しかしこの種の発言は、いったん外に出ると「正義」としてまかり通る。事実上解禁となり、他の記者も追いかけざるを得ない。
なぜオフレコは守らなければならないかだが、まず「小の虫を殺して、大の虫を助ける」ということがある。政治記者の場合、大の虫とは政局の動き、外交・内政とその帰趨、国会の展望など、国家の命運に関わる超重要課題を重要視する。酒の会などでの取材対象の失言は、その重要課題の「傍証」とはなるが、決定打とはならないケースが多く、オフレコを破ってまで書かない。その代わり、より重要なニュースで勝負するのだ。オフレコなら本音を聞けるケースが大きいのだ。次に重要なことは、古い言葉だが、他社との“仁義”がある。1人だけ抜け駆けをして、他の仲間の記者を裏切ることはやるべきではないし、やれば絆は切れる。どうしても記事にしたいという問題が生ずることがあるが、その場合は幹事社にアピールする。幹事社は出席者全員に図った上で、解禁かどうかを判断する。琉球新報の場合はこの手続きを踏むべきだった。よく言われるオフレコ懇談会批判に「記者は書くために働いているのであり、聞いたことはすべて書くべきだ」と言うものがあるが、これは多様な情報収集の現場を知らない。ゴミ記事に至るまですべてを書いて、重要ニュースが欠落する羽目になれば、それこそ国民共通の知る権利は達成されないのであり、ジャーナリスト失格ではないか。独自取材ならもちろん書くか書かないは自由だが、多数の場を間違いなく“利用”して得た情報を、勝手に書くのは“仁義”に反するのだ。
新聞、通信社にはオフレコ懇談会や夜討ち朝駆けの内容を記者がメモにして、デスクに提出するのが通例だ。メモにした情報を政治部記者全員が掌握して、判断に誤りを来さないように期するためである。これには全く問題はない。しかし、最近はこのメモが政界などに出回っている。自民党前政審会長の山本一太が、自らのブログでこの傾向を分析している。山本によると「今の永田町には、マスコミ関係者との『オフレコ懇談』などというものは存在しない。懇談の相手が政府高官や党幹部なら、必ず『発言メモ』が本社に上がる」と実態を暴露している。したがって、山本は「この記者に言えば、あそこらへんには伝わるだろうなと考えながら、言葉を選ぶ」のだそうだ。しかし、自分のオフレコ懇のメモが回ってくることもあるようで、あきれている。山本は「今後はやけに詳しい記者メモが出回った時は、このメモを作った記者の実名を書かせてもらう」と警告している。取材源からの警告は初めて見たが、山本が読者数トップクラスの自らのブログで叩けば、その記者は永田町から総スカンを食らう可能性がある。もっともメモを書いた本人が流布することはまずあるまい。今後取材源が泣き寝入りするどころか、webを武器に反撃に出るケースが想定されて、面白い。山本は「信頼関係のあるプロフェッショナルから情報が漏れたことは、一度もない。そういう人じゃないと、ディープな意見交換なんて出来るわけがない」と強調している。まさにいつの時代も記者と取材源は信頼関係だけでもっているのだ。
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