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2011-10-25 00:00
(連載)中国高速列車事故とチェルノブイリ(2)
山下 英次
大阪市立大学名誉教授
グラースノスチ(情報公開)というのは、ロシア語で「ガラス張り」という意味だそうである。1985年3月、共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、改革志向で、事故直前の1986年4月からペレストロイカ(Perestroika、改革)を推進し、そのための一つの手段として、グラースノスチを標榜していた。ゴルバチョフが、グラースノスチを掲げたのは、各地方から上がってくる各種工業品・農業品の生産高の水増し報告に悩まされていたからである。中央統制経済を機能させるには、中央が真実の生産高を正確に把握しなければならなかった。ところで、これは、計画経済に伴いがちのものであり、改革開放以前の中国の周恩来首相も全く同じ問題に悩まされていたわけで、誠に興味深い。
その後、1986年7月31日、ゴルバチョフは、内政に関する「ハバロフスク演説」を行い、ペレストロイカ政策を本格化させる。そして、「国民がこれに参加するためには、グラースノスチが欠かせない」と発言する。他方、国民の方も、原発事故と放射能汚染に関する正確な情報を渇望した。また、少なからず放射能汚染の影響を受けた西側諸国からも、正確な情報を提供せよとの圧力がかかった。こうして、チェルノブイリ原発事故を契機に、グラースノスチが大いに促進されることとなった。その結果、ペレストロイカは大きな流れとなり、やがて1991年12月のソヴィエト連邦の解体につながることとなった。
今回の中国の高速列車衝突事故の場合、事故後、先頭車両を重機で破壊し、埋めるなどという文明国では考えられない野蛮な行動がとられた。この行為自体は、おそらく事故の隠蔽目的などという発想ではなく、もっと単純に、とにかく恥ずかしくも惨めな状況をいつまでも世界中の目に晒しておきたくないという面子を考えてのことであろう。しかし、他方では、事故の重要な物的証拠である事故車両の証拠保全に反した行為であり、事故原因の追究を蔑にする姿勢があるからこそ、あのような行動がとられてしまったということは言うまでもない。また、それは、事故の僅か38時間後に、同じ路線の列車の運行が再開されたことからも明らかである。
こうした人災による大惨事と、その後の政府対応の誤りは、誰の目にも明らかとなる。その意味で、少数民族の暴動とその鎮圧よりも遥かに大きな不満の広がりとなりうるのである。中国には、対抗勢力が存在しないので、現体制は安定的だと多くの中国に関する専門家は言うかもしれない。しかし、たとえ対抗勢力がなく、強固な体制に見えても、内部分裂によって崩壊することがあるものである。非常に大きな問題が起こると、それへの対応を巡って、指導層内部で意見対立が少いる可能性が出てくるからである。ほとんどの人が予想できなかったソ連邦の解体は、内部分裂によって生じたと考えてよいのではないだろうか。システムの設計上・運営上のミスよる大惨事とその後の政府の対応の誤りは、内部分裂を誘発する可能性がある。(つづく)
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