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2011-08-25 00:00
よみがえるフィッシャーの呪い
田村 秀男
ジャーナリスト
物価とおカネの量を関連づけた貨幣数量説の祖、アーヴィング・フィッシャー教授(1867~1947)は「兌換(だかん)されない紙幣は、それを用いた国家を常に呪ってきた」と喝破した。1971年8月15日、ニクソン米大統領がドルと金(きん)の交換停止を宣言するや、世界の貨幣はことごとく不換紙幣と化した。以後、米連邦準備制度理事会(FRB)をはじめ主要国の中央銀行にとって、インフレの封じ込めが最大の懸案になった。フィッシャー教授の理論を継承したミルトン・フリードマン教授(1912~2006)は、金融政策が「海図なき航海」に乗り出したと論評し、インフレ抑制のために貨幣供給量を制限する政策を世界に広めた。
インフレは抑え込まれた。92年以降、現在に至るまで米国の消費者物価の年間平均上昇率は高くても3%台におさまっている。だが、2008年9月に「リーマン・ショック」が起きた。FRBのバーナンキ議長はインフレとは逆のデフレに陥るのを警戒し、ドル札をショック前の3倍まで増刷した。不換紙幣をいくら刷っても、インフレにはならなかった。が、実体景気はよくならないし、失業率も高止まりしたままだ。中央銀行は、インフレの恐怖という「フィッシャーの呪い」から解放されたのか。それとも、インフレにはならずとも景気もよくならない、という新たな「呪い」をかけられたのか。
不換紙幣とは紙切れの現金なのだが、預金、証券や証券化商品、いやありとあらゆる金融商品は現金化できるのだから、紙幣と同類のマネーである。「ニクソン声明」は紙幣を金融商品と同等のマネーに格下げしたのである。ならば、なんの気兼ねもしなくてよい。米金融業界は1971年8月以降、証券化商品や金融派生商品(デリバティブ)など金融商品の多様化をワシントンに働きかける。90年代後半からは情報技術(IT)革命とグローバルな金融自由化の波に乗って、金融商品は爆発的に膨張したあげく、バブルとなって崩壊した。不換紙幣を金融商品と言い換えると、リーマン・ショックは呪われた結果と思える。
どうすればよいか。不換紙幣をじゃんじゃん刷るのが、今のところ関の山であり、米国を筆頭に日本を除く主要国がそうしてきた。米国はドル暴落不安、中国は高インフレ懸念、欧州は財政危機に見舞われている。対照的に、お札を刷らない日本だけが、超円高とデフレ・スパイラルに陥っている。各国は自らの実情に合った政策をとるしかないのだが、日本の場合、日銀が「インフレ」を気にし、財務官僚はデフレ容認・増税一点張りだ。だが、古典的な「呪い」はすでに姿を変え、古典的な対処法では間に合わなくなっている。マネー・パラダイム転換に目覚め、円高阻止と脱デフレに向けた政策に思い切って踏み出すときだ。
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