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2011-08-04 00:00
(連載)疑われるFIFAの見識(2)
山下 英次
大阪市立大学名誉教授
第2に、イングランドは、いくら近代サッカー誕生の地だとしても、無論、国際的に承認された独立国ではない。一地方に過ぎないイングランドやスコットランドに対し、他の独立国と同じステイタスでのエントリーを認めること自体が極めて不公平である。イギリスが今のような国の形になったのは、1707年、スコットランドを併合した時からである。その意味で、イギリスはかなり新しい国なのであり、アメリカ合衆国よりも、僅かに70年ほど歴史が長いだけの国である。すなわち、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによって構成される「連合王国」という寄せ集め国家になってから、まだ僅かに300年ちょっとしか経っていない。全国民にイギリス人(Britons)という意識が形成されたのは、ヴィクトリア女王が就任する頃(1837年)になってからといわれる。その頃、ようやく「イギリス人意識」(Britishness)が生まれたわけである。
現在でも、イギリス人にとって、第一義的なアイデンティティーは、それぞれ、あくまでもイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人というものであり、統一国家としてのイギリス人のアイデンティティーは、第二義的ものでしかない。しかし、そうした国は、この世界中にいくらでもある。他のスポーツ連盟・団体にも共通したものかもしれないが、FIFAは、国際的な見識を欠いていると言わざるを得ない。一国内のスポーツ団体の場合なら、日本の大相撲のように、何か不祥事があれば、監督官庁の文部科学省が介入するなどの方法もあるが、上部団体が存在しない国際的な組織の場合には、歯止めをかける正式な枠組みがないことが問題である。国際社会の世論が圧力をかけ、中立的な諮問機関を設けさせるなどの方法が必要ではないだろうか。FIFAは、開催地の誘致活動や理事の選挙等を巡り不正が絶えない組織でもある。
これだけの大規模な世界的なイヴェントを主催するのだとしたら、FIFAは、運営方法を国際社会の通念上違和感のない形に改めるべきである。そして、それを実現するには、ある程度の国際的な見識の高さが必要とされる。男子サッカーのW杯は、世界中の青少年たちに多大な影響を及ぼすのであり、不公正な大会運営は、教育上も甚だよろしくない。
世界中の非常に多くの人々が注目するイヴェントを開催するのなら、ただ単にその分野(この場合サッカー)の専門家集団というだけでなく、それに見合った高い国際的な見識を合わせ持たなければならないだろう。率直に言えば、サッカーだけしかやってこなかったような人たちだけで、W杯のような極めて大規模な国際的なイヴェントを開催するのには、どうしても無理がある。日本のマスメディアは、どの分野でも、国際的な組織の批判をすることは稀であるが、組織運営について、チェックを受ける正式な枠組みが存在しない国際的組織については、マスメディアこそがしっかりとチェック機能を果たすべきである。(おわり)
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