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2011-07-25 00:00
民主主義的答責性不在の官僚への政治の丸投げ
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
民主党政権が誕生して以来お馴染みになったとも言える酷評に次ぐ酷評が、いまや極まった感がある。初代の鳩山総理大臣は異常値として論外であるとしよう。次の菅さんがどうしてこれほど評判が悪いのか。自民党政権末期の何人かの総理と比較して、どこがどれほど劣っているのか。このあたりが世論調査なるものの眉唾なところで、菅さんに今すぐ、あるいは出来るだけ早く辞めてほしい、というのが8割だったからといって、質問を変えて、辞めた後は誰が良くて、どうしてその方がマシだと思いますか、と聞けば、せいぜいで「今より悪くなるとは想像し難い」という程度の根拠しかないであろうことはほぼ間違いない。
総理が精々で小隊長の器に過ぎないことは繰り返さない。思いついたことを口走り、それがもっとも至極な意味内容ならば、口走っただけで事が半ばなったと思い込む。失敗に学ばないどころか、お手軽に謝罪すれば「リセットが済んだ」くらいにしか思わない。ダメもとの野党時代、あるいは市民運動家時代の無責任さから、脱却しきっていないなどなど、その短所欠点をあげつらえば、このブログ2回や3回は埋められよう、という有様なのは誰しも知るところだ。しかし、たとえそうであっても、この国難の時に与野党問わず「それ辞めろ」、「やれ辞めさせろ」は、異常としか言いようがない。
志はどうでも良い。数こそが民主主義の要諦だ。多数を制してさえいれば、政治哲学なんぞどうにでもなる、という信念に基づいた政治家が、なお勢力を喪っていない。そんな中にあって、愚かしく、拙劣ではあるが、舌足らずの思いの丈を演説したがる政治家は貴重ではないのか。「引っ張って下さい」といわんばかりに、足を投げ出す方も投げ出す方だが、だからといって、よってたかって足をとって引きずり降ろすのに専念しているのでは、この先誰が総理になっても落ち行く先は見えた、というべきだろう。
諸悪の根源を「ねじれ」に求めた時期もあった。バラマキのマニフェストに対する自己修正能力の欠如を論じる向きもあった。党内派閥の醜い抗争がクローズアップされたこともあった。どれも一面の真理であることに違いはなかろう。だが、この国の政治がこれほどの惨状を呈している真の理由は、その何れでもないように思う。政・官・財の癒着、特に民主主義的答責性を全く持ち合わせていない官僚に国の政治のシナリオを丸投げしてしまったところにこそ、真の原因は求められるべきだろう。その志半ば、どころか緒についたかつかないかのうちに、その動きが圧殺されているところにこそ、問題はあるというべきだろう。一連の「菅辞めろ」のコーラスが、誰の筋書きで、誰の演出になっているのか。知ってか、知らずでか、片棒を担いでいる向きがこれほど多いのでは、日本の政党政治の先も見えたといいたくもなろう。
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