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2011-07-13 00:00
ストレステストを持ち出す菅首相のご都合主義
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
福島の人災さえ終熄していないというのに、早くも「安全性は担保されたから、原発は稼働すべきだ」といいつのる一派がいれば、そのお先棒を担いだお粗末な大臣が、現地に乗り込む。それを首相が「知らなかった」というのも呆れるが、かてて加えてこの度は、ストレステストとやらを終わるまでは「稼働再開まかりならぬ」ということらしい。二階に上がって梯子を外された面持ちの人々も数多い。別に梯子を外されてむくれようが、むくれまいが、そんなことはどうでもよいが、安全性というイシューが、これほどぞんざいに扱われるのはいかがなものか。
都合の悪いことには頬かぶりで、情報隠蔽までやってのける、というのと、何でも良いから屋上屋を重ねておけば当面情勢は糊塗出来る、というのと、どれほどの違いがあるのだろうか。大概のことはともかく「ここは譲れない」「譲ってはいけない」という一線の様なものが、ご都合主義の前にどんどんなし崩しになってゆく。その意味では選ぶところあるまい。
牽強付会で言っている訳ではないのだが、元エネルギー庁次長とかのインサイダー取引の疑いにしても、同じ穴の狢の感が強い。ご本人は「周知の事実に基づいての株式の売買だから、インサイダー取引ではない」とおっしゃっているらしいが、とんでもない話なのは言うまでもないだろう。「瓜田の沓」の、「梨下の冠」のといっている訳ではない。「譲れない一線は、後で決めよう」というのでは、ダーツを先に壁に刺して、的をそのまわりになぞっているのと同じことだと言っているのだ。
恥の文化がわが国の特徴であるとされた時期もあるというのが、まるで嘘のようではないか。サラリーマン重役が何億円もの報酬を受けて、恬として恥じないのもそれならば、電車の中でお化粧直しに余念がないのも、モンスターペアレンツも、決して独立した事象ではない。このあたりで本気になって「躾け」を復活させないと、手遅れになってしまうのではないか、と思わせる事件が多い。ここでいう「躾け」とは、起立して君が代を歌わせれば良い、という体のものではない。むしろ野暮を承知で「見て見ぬ振りは止めよう」というのに近いように思う。横町のご隠居再登場だ。
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