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2011-06-10 00:00
なんのために民主主義は存在するのか
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
罹災者そっちのけの「政局」大好きおじさんたちが、あいも変わらず首相退陣時期がどうの、民主党政権の片棒担ぐのはこうの、と喧しい。菅首相が自ら退陣をほのめかすことによって不信任案は否決、さらに復興に向けての予算案と財源の審議が軌道に乗る、とお考えになったとすれば、例によって局面に対する楽観が過ぎた、ということだろう。残ったのは、いまや菅さんはレームダックだ、という一事のみ。決して有能で信頼できる首相だとは思わないが、それにしても自らの辞職声明が不信任案否決以外の果実を産まなかった、と判断するのであれば、改めて唖然とするほかはない。
政治主導だ、官僚主導の打破だ、と勇ましいかけ声の果てがこの始末では、災害の後始末の筋書きは、やはり官僚に委ねる他はない、ということになる。それも読み筋で、官僚と結託してうごめいている向きもないではなかろうが、政治に対して、政治家に対して、国民を全くあきれ果てさせた罪は大きいというべきだろう。政治がパワーゲームの側面を持つのは当然だし、分裂寸前の民主党に取って代わって政権政党になりたい、という本能の様なものを否定するつもりはない。しかし、それを棚上げにしてでも果たさねばならぬ仕事が存在するのが、なぜ解らないのだろう、と繰り言めくのはお許し頂きたい。
かくしてほくそえんでいるのがどなたかは、もうお解りの通りだ。官僚支配の打破を金看板に国民の支持を集めた「みんなの党」までが、このシナリオに沿って舞台で踊っているのでは、世も末、いや政党政治も末、という他はない。唯一頼りの綱は県知事さんたちだ。現場に根ざした具体的施策要求をまとめあげて政府に要求する、という位の芸当をやってのけないと、本当にこの国の国難は官僚がいなくては救えない、ということになってしまう。何も官僚を目の敵にしてその影響力を減殺したがっている訳ではない。ただ、折角芽生えたかに見えた政官財トライアングルの利権構造打破が、元に戻るどころか、更なる深い沼の泥に足を取られる方向にまっしぐら、という傾向を憂えている。
今からでも遅くはないから、政局ごっこはやめた、とみんなの党が宣言するのを期待する。さらに、地方自治体の長は、地方分権なからざるべからず、の生きた証拠を大至急で作り上げることを期待する。まさに地方分権実現のためには千載一遇の好機だ。お願いしたり、批判しているだけの存在ではないことをぜひ実証してほしい。世にシンクタンクと言われ、学者と言われるほどの輩は、きれいごとを言っているだけの存在ではないことを示す、このうえないショウケースを与えられている。避難所での生活を余儀なくされている10万人余りの人々、いきなり生活の拠点を引き払えと言われて途方に暮れる人々、新生活への設計図を書こうにも書けない人々、それらの人々の切実な要求を実現するためにこそ民主主義は存在する。
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