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2011-05-30 00:00
これでよいのか、場当たり政治家ばかりの日本
若林 洋介
学習塾経営
菅政権の政権運営は「場当たり」的であるという批判は当たっていることは間違いない。しかしながら、倒閣派の行動もきわめて「場当たり」的ではないのか。「ポスト菅の総理候補は?」と聞かれて、ハッキリ語る人は誰もいない。倒閣支持の政治家も、評論家も、例外ない。ヒドイのは、「心中にはあるが、今は言えない」という卑怯な答え方をする評論家もいる。
国家の命運を担うトップ・リーダーを交代させようというのに、「今は言えない」などということで、民主国家と言えるのであろうか。国民不在の「永田町の論理」が現在進行しているということなのか。政界通とされる評論家も、そのお先棒を担いで、「今は言えない」というわけなのか。内閣不信任案が可決されれば、来週中にも次期政権が稼動しなくてはならない現状なのに、国民に対して「来週、誰が首相になるか、その候補者名さえ言えない」などということ自体が、「情報隠蔽」体質そのものではないのか。
多くの倒閣派の政治家の意見を聞いていると、「菅おろし」が現実になれば、自ずから決めざるを得なくなるというものであろう。そういう決め方を「場当たり」的というべきであろう。「その時、その時、その場、その場で、なんとかなるんじゃないか」という無責任体質こそ、「場当たり政治」の最たるものではないか。
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