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2011-04-30 00:00
首脳外交不在の日本の悲劇
若林 洋介
学習塾経営
5月末のG8サミットを直前に控えて、またまた首相の交替が議論されているようだ。民主党の松木謙公(小沢側近)議員は「菅首相をサミットへ行かせるな」と言い、自民党長老の森善朗氏は「新首相をサミットにデビューさせよう」とまで言っている。これらの方々は、3月末に急遽来日した議長国のサルコジ仏大統領と菅首相との日仏首脳会談において、今回のサミットを「福島原発事故の経験を国際社会が共有する“原発サミット”にする」と合意されたことの重大性をご存じないのだろうか。日本という国では、首脳間の約束がそんなに軽いものなのだろうか。要するに「政局がすべて」という連中が首脳外交をつぶそうとしているのだ。
振り返れば、1990年代末の橋本・エリツィンの日ロ平和条約締結に向けた日ロ首脳外交も、参議院選敗北の責任を取らされて、橋本首相が退陣を余儀なくされたため、挫折した。後継総理は小渕首相であったが、政治家としての能力・力量は橋本氏の方がはるかに上であった。1998年7月の橋本退陣から翌99年12月末のエリツィン失脚までの1年半こそは、じつは日ロ首脳外交を進展させる唯一のチャンスであったのだ。 北方領土問題解決の千載一遇のチャンスを失ったことで、国益は大きく損なわれたと言える。ごく最近では、日ロ平和条約の締結に意欲を燃やしていた鳩山由紀夫首相・メドベージェフ大統領による日ロ首脳外交があるが、これも鳩山由紀夫首相の退陣によって頓挫してしまった。
これに対して、首脳外交が一定の成果を収めた例として、いわゆる拉致問題をめぐる小泉純一郎首相と金正一総書記の日朝首脳外交がある。もちろん完全解決には至らなかったものの、小泉首相の2度にわたる訪朝によって、蓮池一家・地村一家および曽我・ジェンキンス夫妻の3家族の帰還を勝ち取ることができた。この時の日朝平壌宣言こそは、首脳外交の成果であり、産物であった。この日朝首脳外交が一定の成果を収めえた最大の要因は、小泉政権が約5カ年半(2001年4月~06年9月)に渡る異例の長期政権であったからだ。
2007年の安倍首相以来、08年の麻生首相、09年の福田首相、10年の菅首相と、最近の4年間は、毎年日本の首相が交替している。今年も菅首相が引きずり降ろされれば、この傾向は変わらないことになる。新首相がサミットに出席するとなると、ますますG8における日本の存在感は希薄なものとなっていくに違いない。特に,今回のドーヴィル・サミットは、原発大国であるとともに、サミットの議長国であるフランスと、福島原発事故の当事国である日本が中心となるべきサミットであるだけに、日本の首相の果たすべき役割は重大である。そもそもサミット(主要国首脳会議)は、1975年に、フランスのジスカール・デスタン大統領によって提唱された会議であり、ランブイエ(仏)で米・英・仏・独・伊・日の主要6カ国が参加して、スタートしたものである。
サルコジ大統領にとって、今回のサミットは、サミットの生みの親としてのフランスの威信をかけた会議であるのだ。3月末の菅・サルコジ合意は、そのように位置づけられるべきであろう。その意味で、今回のドーヴィル・サミットは、日本の首脳外交の真価を問う場となるだろう。国際社会は、ドーヴィル・サミットにおける日本の首相の言動に注目している。ここで日本の新米(しんまい)首相が、「顔見世興業」でその場を誤魔化してしまうようなら、日本という国はそもそも「首脳外交が成り立たない国」であるとの烙印を押されることは間違いないだろう。
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