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2011-04-17 00:00
無能な「将」のもとで「兵」は死なねばならぬのか?
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
有能な小隊長が必ずしも大隊長、あるいは連隊長として有能であるとは限らない、と聞いた。自ずからひとには器というものがある、ということのようだ。3度目の災害現地視察に訪れて、喜々として「頑張ろう」と拳を突き上げている首相の姿を拝見して、失礼ながらそんな思いにとらわれた。日本という国では、自衛隊員でさえ、だれが上司でもそれが生死にかかわることはないようだが、他国の兵士なら、みな生死をかけた大問題になる。そこに、現実の戦闘行為があるからだ。しかも部下たるもの、上官の命令には与かることができず、かつ従わなければならないというのだから、これは運命と諦める他はない。
それに比べれば、民主主義下の首相というのは、多少間接的にではあるが、その選出について自分も一半の責任がないではない。それだけに「余計やりきれない」と言えなくもない。そんな感想を持とうが持つまいが、危機的状況の方は待ってはくれない。15万人の人々がプライバシーのない生活を余儀なくされて、早くも1ヶ月以上になる。必要な仮設住宅が仮に数万戸であるとして、それがいつ頃なら可能なのか。それが早急には無理ならば、その間はどうするのか。提供された旅館・公営住宅の存在さえ周知されていないというのはどうしてか。就労場所から離れた居住地の場合、収入を稼ぐにはどうすればよいのか。こうした喫緊とも言うべき課題に対して、何らの方向性が示されたという話を聞いたことがない。
とはいえ、戦が始まっているのに「あれは連隊長の器ではない、せいぜい小隊長どまりだ」などとあげつらっている時ではなかろう。放射能漏れは何が何でも食い止めねばならないし、第一次産業での失業は、第二次・三次産業の雇用増でカバーしなければならない。9・11に際して、あれほど犬猿の仲だった米国の共和・民主両党が手を携えたのを想起する。今回の連邦予算凍結寸前の回避とは速度感がまるで違っていた。米国に出来たことが日本で出来ない訳がないだろう。こちらの方はロボットと違って「予算が削られたから、手の施しようがない」というのとは違う。
何も官のなさりようを待っているだけでもあるまい。数千億と言われる民間からの義捐金も、小出しにバラまくだけが出捐者の意向に沿うとも限らないではないか。
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