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2011-04-04 00:00
「ボランティアに見返りを」と役人が通知する奇怪さ!
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
世の中にはヒマなお役人もいるもので、学生災害ボランティアについて文部科学省は、鈴木副大臣名で「東北地方太平洋沖地震に伴う学生のボランティア活動について」という通知を4月1日付けで出した。これは、菅総理が「東日本大地震」と命名する前の作文らしい。その内容は新聞紙上などで既にご存知の方も多いかもしれないが、ボランディア活動はしっかり評価して、単位などを出してもいいよ、といい、さらに他方安全には気を配れ、保険などに入ると良いね、とまあ、ざっとそんな内容である。
痒いところに手の届く結構な「通知」だと思われる方がいらっしゃるだろうか。筆者などは、大学という組織はよくよく無能力者なのか、と思ってしまう。要するに、少しでも新しいこと、前例にないことをするのには、いちいちお役所のお指図をまつ。あるいは震災直後のJRと同じで、何かあったときに、批判非難を受けるのがいやさに、責任を他に転嫁する用意ができるまでは何もしない。大学をそんな風に育て上げた文科省もご立派ならば、そういうあり方から利益を得るひとびとが沢山存在して支えられるシステムの不気味さ。この「通知」を拝読した第一感というのは、そんなところだろう。
改めていうのも気恥ずかしいが、ボランテイアというのは、現実の見返りとか、報償を期待して行うものではないだろうし、ましてそのありかたについて、時の体制権力(powers that be)がとやかく言ったり、介入したりするものではあり得ない。ことは、単なる文科省のお節介で片付ける訳にはゆかないのだ。もっとも、この「通知」が発出されてから、あちこちで大学人から抗議反対の声が挙がっているのだが、肩肘はって「けしからん」等というのは大人げなくて、あっさり無視すればよいのかもしれない。肝心の学生さんの方は、そんな役人のご意向とは無縁のところで、ボランティアをしているからだ。
あるいは、大学の各種学校化、というのもついにここまで来たか、と見ることも可能だろう。何日か現地に出向いて瓦礫の片付けをすれば、大学の単位として認定されるというのだから。社会福祉系の学部の学生に対してならば解らないではない。でも経済学部や、工学部の学生も、いっぱいボランティア活動には参加している。難しいことはいわないし、学習が系統的・累積的であることを求めもしない。要は、社会の役に立っているかどうかが、唯一の判断基準だ。と、それも立派な大学の今日的存在理由かもしれない。
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