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2011-03-20 00:00
プロ野球コミッショナーなる存在は何のためにいるのか?
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
未曾有の災害の被害者に対する悼意や、力になり得ることはないかといった主体的な感情をしばらく離れて、直接間接にこの状況の中にいる人々を観察すると、いくつかのことに気づく。
ひとつは、外国メディアも感心している日本人の節度ある社会感覚、さらには目覚ましい相互扶助の精神だ。荒廃した市街地に略奪(looting)や共同生活での暴力沙汰が起こったという話を聞かない。筆舌に尽くし難い逆境の中でも、禁欲的に共同して環境に適応しようとしている姿勢には、驚嘆すべきものがある。もっとも、それをよいことに無為無策のままにうちすぎる為政者が見られるのは嘆かわしい。ガソリンが、灯油が、寒冷地である被災地に必要で、しかも交通途絶で運輸手段が人力によらざるを得ないというのは、そんなに予想するのが難しい話ではなかろう。医薬品にしても、その他生活必需品にしても同様だ。出来ないものは仕方がない。しかし、出来るのにやっていないことが余りに多くはなかったか。被災地の惨状を感傷的に報道するテレビ関係者は、救援物資のリュックサックぐらい背負って取材に行ったのだろうか。急遽派遣された自衛隊員に若干であれ物資運搬は依頼されたのだろうか。
その反面、西欧にあると言われるノブリス・オブリージェ、つまり「特権ある地位にあるものは義務を負う」という感覚。そしてそれが単なるスローガンに終わらず実際の行動に裏打ちされるという態度は、残念ながらあまり見受けることが出来ないようだ。わが国でノブリス中のノブリスといわれる人が、救援物資の整理や、カンパ活動の陣頭に立った、というのを見るのは極めて稀だ。外国旅行やスキー旅行を控えることが、最大限の哀悼の意を表することだと思われては困る。高齢のノブリスは、演説や精神的な支柱としての存在で国民を支える。元気なノブリスは、フィールドにおける自らの行動で意のあるところを示す、というのでなくてはなるまい。
イチローやダルビッシュを始めとするプロ野球選手たちが高額の義援金を拠出した、というニュースには心洗われるものがあった。それにひきかえ、国民が停電騒ぎで難渋しているときに、こともあろうにナイトゲームで開幕戦を行いたいなどとほざくセントラルリーグの幹部は、どういう神経をしているのか。それにも増して、それに何の異論も挟まないコミッショナーなる存在は、一体何のために給料を貰っているのだろうか。こんな判断力・識見を欠く人物に駐米大使という重責を担わせていた外務省というのは、何という役所だろう。それとも米国大使なんていうのは、この程度でも勤まるのかな。
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