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2011-02-24 00:00
予測不能なのは、イスラム世界も日本も同じ
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
マグレブから中近東アラブ世界へと激震が走っている。民主主義体制の下においてさえ永年に亘る権力の独占がいかに腐敗をもたらすかを知っているわれわれとしては、まして独裁政権の下で何が起こりうるかを想像するのはそんなに困難なことではない。さらに経済成長による生活水準の向上というニンジンさえ存在しない、それどころか経済レベルの劣化に庶民生活が苛まれるところでは、不満のマグマが噴出するのは当然でさえあろう。インターネットの普及は、体制による情報操作をかなり相対的なものにする。
しかし、例えば中央ヨーロッパあるいは東欧に起こった「民主化」運動と違うのは、反体制の象徴的なリーダーが全くといってよいほど存在しないことだろう。だから、この激変の結果として生まれるものは、エジプトに見られるように単なる独裁者の追放に留まり、権力構造そのものの変換には繋がらないという観測もある。これはカーネギー平和財団のマリナ・オッタウェイの観測である。それとも、もっと基本的な変革に連なる可能性はあるのか。あるいは、リビアに見られるように狂気の弾圧が結果的に功を奏してしまうのか。結論を予測するのは、そんなに簡単なことではない。
そうした世界情勢をよそに、わが国ではあいも変わらぬ「ねじれ」と「ごたごた」だ。ある組織の中に主流派や反主流派が結成されるのは、別に珍しいことではない。その際に、タテマエとしてのスローガンにはいろいろ美辞麗句を並べ立てるのも世の常だ。だから、比例区下位で当選して、次の選挙ではこのままでは足下のおぼつかない議員が、第二の小泉チルドレンになりたくなくて、新しい看板を模索するのも、それを利用しようとする政治家が出現するのも、異とするには当たるまい。守れる筈もないマニフェストを守るような振りをして正当性を主張するのも、バーバラ・タックマンが名著『愚行の世界史』」の中でいみじくも指摘しているように、「行使できる筈のない権利を行使すると主張する」愚行の一種であり、歴史上珍しいものでもなんでもない。
そんなことを今更のごとく指摘して慨嘆するよりも、知恵者が出現するのを待ち望んでいるというのが、国民の大半の心境だろう。まかりまちがって選挙にでもなったら、投票する政党がないのが実情だ。河村さんや橋下さんにあやかりたいという手合いが出現するのも無理はないし、あやかられる方だってにべもない返事をする筈もなかろう。民主党などは対立候補をたてるという愚を犯したし、まさか「だからといって自民党」でもないからだ。東京都知事選が、選挙民にとってグロテスクな選択しかない、という羽目に陥るかどうか、その意味でも興味津々だ
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