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2006-06-03 00:00
あの戦争の呼称のまえに、あの戦争の意味を考えよう
中村将史
会社員
吉田春樹氏の5月17日付け投稿「太平洋戦争か、大東亜戦争か - あの戦争の意味と呼称(再々論)」を読みました。スレッドを利用し、吉田氏の4月7日付け投稿「太平洋戦争か、大東亜戦争か」から始まる一連の議論をたどり、皆さんの冷静かつ建設的な議論に感銘を受けました。私も佐伯良子氏(4月25日付け投稿)と同様、初めは「大東亜戦争」という呼称に抵抗感がありましたが、議論を読み進んでゆくうちに、吉田氏が「大東亜戦争」という呼称を用いたのは、あの戦争の正当化が目的ではなく、「歴史問題から逃げてはいけない」という問題意識からであると理解しました。「あの戦争」を何と呼べばいいのか、吉田氏の問いに直接答えられるほど私の考えはまとまっていませんが、とりあえず感じたことだけを、以下に述べさせていただきます。
「あの戦争」をなんと呼ぶかにかかわらず、「あの戦争」が日本人の歴史を区切る大きな時代区分であることは、なんびとも異論がないと思います。それにもかかわらず、吉田氏が指摘するように、日本が「あの戦争」に敗れたのだという歴史的事実自体が、日本人には未だにはっきりと意識されておらず、その位置づけも依然としてあいまいなままです。「あの戦争」が何であったのかは、突き詰めて考えられていません。例えば、8月15日のことを日本人は「終戦」記念日と呼び、「敗戦」記念日とは呼びません。「終戦」という言葉を使うことによって、「敗れた」という事実に直面することを意識的に避け、あたかも自分たちとは関係のないところで勝手に戦争が「終わった」ということにして、議論を止めてしまっています。
私は、 このように「あの戦争」の位置づけをあいまいにしたまま、「東アジア共同体」構想や近隣諸国との関係などを議論することに、大きな危惧を感じます。こうした状況を前提としているかぎり、日本人が1995年の村山談話のような反省の意をいくら表明しても、その思いは諸外国には伝わらないと思います。自分自身が分かっていないことや迷いがあるものを、いくら他人に説明しても、納得してもらえるはずがないからです。さらには、こうした揺らぎを中国や韓国から突かれ、歴史問題を外交カードとして利用されてしまいます。中国、韓国からの歴史問題提起に単に反発する前に、日本人にとって「あの戦争」とは何だったのか、日本人の間で最低限度のコンセンサスを形成して、考えを固めることが先決だと思います。その結果として「あの戦争」の呼称も定まってくるのであり、それなくして呼称問題を議論することは、新たな「終戦」記念日を生むだけのことになると思います。
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