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2011-02-22 00:00
“与謝野孔明”は菅との一蓮托生しかない
杉浦正章
政治評論家
ネットにも優秀な川柳がある。「つり自慢一匹釣って魚群逃げ」とあったが、まさに首相・菅直人は与謝野馨を一本釣りしたはいいが、16人も逃げられて、真っ青の状態。菅の「支持率狙い」がことごとく外れている。改造効果も、「小沢切り」効果も、ゼロ。それどころか、効果がマイナスでなければ、10%台に落ちることもない。菅は「三顧の礼で与謝野を迎えた」と大見得を切るが、政権危急存亡のときに、与謝野が諸葛孔明のように「天下三分の計」のような大戦略を授けるとは思われない。与謝野の心境を察するに、「もはや一蓮托生。政治家人生もこれまでか」の思いが浮かび沈みしているに違いない。
2月21日の衆院予算委員会の集中審議でも与謝野は憐れをとどめた。過去の発言がブーメランのように跳ね返ってくるのだ。自民党の平沢勝栄が、かつて与謝野が民主党政権を「もう我慢がならない。革マルの代表が民主党の比例に入っている」とか「この政権は新左翼崩れが作っている」とこきおろしていたことに切り込んだ。 与謝野は「極めて常識的なことを言った」と開き直ったが、平沢が「暴力団絡みの会社の中で 『自分は経理だけやっているからいい』というのか」と突っ込むと、さすがの与謝野もたじたじで 「社会保障と税の一体改革という仕事のお手伝いをしているだけだ」と“仕事”に逃げ込むしかなかった。しかしその仕事も、川柳で「君死ねと税金しぼる孫の代」と言われてしまっては立つ瀬がない。
与謝野はおそらく菅に「政治日程への逃げ込み」を進言しているのだろう。2月18日、菅から「4月中に社会保障の改革の全体像を示すよう厳命を受けた」ことを明らかにし、「4月中に必ず出したい」と述べたのは、その辺の事情をうかがわせる。しかし、これは「天下三分の計」とはほど遠い淺知恵にすぎない。なぜならば、政治の要諦は古来「信なくば立たず」にあり、民心が離反しては、いくら良い政策でも、説得力がないのだ。与謝野は財政の“職人”なのであり、とても“戦略家”などではない。党内からもいま“分党論”で売り出し中の前総務相・原口一博が「もしこれで衆院解散ということになれば、与謝野経済財政担当相の政策を中心に民主党が信を問うようなことにならないように願うばかりだ」との発言が飛び出している。造反16人組もそうだが、小沢グループは、菅と与謝野の社会保障と税制の一体改革に「マニフェスト至上主義」で攻撃を加えている。小沢と与謝野は仲がいいから、小沢は批判しないが、グループ内は政策的にも感情的にも反与謝野の空気が蔓延している。まるで「インフル菌お持ちでないか渡り鳥」といった扱いだ。
与謝野は、入閣の理由について予算委で「自らの信念を貫くため」と述べている。これは消費税導入という「崇高な目標」に我と我が身を置き、猟官運動ではないと言いたいのであろう。しかし、自らを高みに置かなければレーゾンデートルが確かなものにならない、という悲哀が感じられる。6月に社会保障と税制の一体改革が出来るような政治状況ではなくなってきているのだ。ということは、もともと「鳥無き里の蝙蝠(こうもり)」的であった吾が身の存在価値が、崩れるように失せてゆくのを、ひしひしと感ぜざるをえないはずだ。まさか菅がこんなに早く断崖絶壁にたたされようとは、与謝野も思わなかったに違いない。6月までは持つと思ったから、消費税戦略を持ち込んだに違いない。朝日川柳には菅の「最小不幸社会」をもじって「宰相の不幸になって行く予感」とあるが、その宰相につきあいきれるのか。渡り鳥シリーズの第二弾が見物だ。受け入れる場所があるかどうかだが。
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