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2011-02-08 00:00
統一地方選も、総選挙も、「惨敗」必至の菅・民主党
杉浦 正章
政治評論家
唯一人心を許せる菅直人の「戦友」である首相夫人・伸子の発言が、このところ“焦り”を見せるようになってきた。首相就任当時は、余裕しゃくしゃくの“けなし”が目立ったが、最近ではあからさまな“擁護”に変わった。一方で民主党王国愛知県での知事選・市長選の大敗北が象徴することは、菅では統一地方選はおろか、総選挙も「戦えない」という実態であろう。いずれもイメージするところは、断崖絶壁の菅の姿に他ならない。人間の発言というものは、注意深くたどってゆくと、必ず本心が現れてくるものだ。伸子の場合は、材料が豊富で分析しやすい。首相就任時は『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』という本まで書いて「この首相でよいのだろうか」と問いかけた。逆転の発想で国民に問いかけて見事にサポートしている。「この首相でよいか」と訊いて、「よい」との答えが返ってくると期待できる余裕があるから、出来る“けなし”発言だ。永田町に「3月危機」がささやかれるようになった9月には、「来年3月の予算案の成立まで持つかどうか」と、どぎつい発言をしたが、これも「予言」と言うよりは、菅周辺に「発破」をかける意味合いの方が強い。まだ余裕があるから言えた言葉だ。
ところが今年に入ってがらりとトーンが変わる。1月12日には「できることをやって玉砕ならいいが、支持率が低いと批判されて辞めることはあり得ない」と、正面切って退陣論に反論した。支持率急落は、さすがの気丈さにも陰りを生じさせた。そして2月5日の発言だ。「ボンボン首相にしては降ろし、なっては降ろし、誰がこの時期にやれるんですか」とヒステリックなまでに変化した。「マスコミの持ち上げたり、叩いたりに、ずっと付き合っていたら、日本人は滅ぶ」と、マスコミ切りにまで及んだ。挙げ句の果ては、「20年かかってこうなった日本が、1、2年で変わると思わないでほしい」と開き直った。まさに伸子は直人を必死でかばう姿と変容したのである。伸子も追い詰められているのだ。
菅が、おそらく眠れぬ夜もあるのだろう。焦燥感をあらわにすることもあろう。それを目の当たりにしているからこそ、“けなし”てはいられない状況と悟ったのだ。しかし、人の良さそうな伸子には悪いが、「誰が首相をこの時期にやれるのか」と言われても、「少なくともご亭主よりましな候補はいますよ」とたしなめるしかない。「1、2年で変わらない」とおっしゃるが、民主党マニフェストをみれば、政権が変わればすぐにバラ色の世界が現出するはずだったのではありませんか。問題はその嘘がばれつつあることではないのですか。これだけの選挙大敗北にもかかわらず、民主党内から寂として菅批判の声が上がらないのは、どうしたことか。総力戦でかかったにもかかわらず、幹部らも「河村流にやられた」と、逃げの一手だ。参院議員会長・輿石東にいたっては「あんたのせいじゃない。へこたれるな」と幹事長・岡田克也を慰める始末だ。あまりの大敗に、敵も味方も傷をなめ合うしか手段がないのが「愛知ショック」の実情だ。
市長選の結果は、ポピュリズムの元祖民主党が、その3倍ポピュリズムの河村たかしにやられただけで、河村は民主党政権と同じで、公約のつけを払えず、いずれ馬脚を現す。しかし、焦点はむしろ知事選にあった。民主党候補が2位ならまだしも、3位ではいかんともしがたい。愛知ショックは、民主党の一連の地方選敗退にとどめを刺したのだ。その意味するところは、総選挙で吹いた「風」が止まったどころか、「逆風」に転じ、統一地方選も、総選挙も、「惨敗」の二字が踊る方向となったのだ。その最高の責任者は菅以外の何者でもあるまい。民主党内で表立った批判が生じないということは、批判が内攻するということを意味する。「統一地方選は、菅では戦えない」と誰もが思い始めており、総選挙があった場合も「やはり菅では駄目」という認識が常識化しつつある。「駄目菅」が定着しつつあるなかで、伸子は直人をどう慰めるのか。慰めようがないのが政治の現実だ。「もう十分戦ったわよ」と、タイミングを見て退け時を忠告するのが、内助の功かもしれない。
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