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2006-05-27 00:00
米中両国が手を結ぶ可能性も想定せよ
竹田翔太郎
公務員
4月28日付けで「CEACコラム」に掲載された村井友秀教授の「中国の戦略、注視の段階」という論説を拝読し、アジア太平洋地域の安全保障を考える際に、中国の台頭とそれに対する米国の国家戦略を洞察し、そこから米中両国の間の戦略的、心理的な距離の変化を把握することの重要さを痛感しました。この洞察や把握にまったく失敗したのが戦前の日本であったとは言えないでしょうか。今日の日本人は、あれはまったく違う時代の、違う状況の話であって、今日の日米関係はずっと親密であり、相互に理解しあっているから、あのようなことは二度と起こるはずはないと思い込んでいますが、それはどの程度根拠のある話なのでしょうか。
現在の日本政府は、米国の超大国としての世界的覇権を不変の与件として確信し、そのような米国との同盟を自国の安全保障の基軸に据えることで、日本の安全を確保しようと考えています。そのような日米同盟関係を更に強化するためには、中国をことさらに脅威と位置づけることが必要だとも考えているように見えます。その前提には、日本と米国の国益は常に一致し、そのような日米両国の国益と中国の国益は永久に対立するとの見解が多かれ少なかれ存在していると思います。
しかし、本当に日米中各国の国益は、いつまでもそのような構図のまま変わらずに続くと断定してよいのでしょうか。米国の覇権の下で守られつつ、中国を敵視していくことで、日本の安全を確保することが、本当に可能なのでしょうか。村井教授が「中国が米国に挑戦しなければ、中国と米国の国益の調整は可能である」と述べているとおり、米中両国の国家戦略の推移次第では、米中両国は手を結ぶ可能性がないとは言えません。米国の対中国戦略の動向を見誤り、日本だけが突出した対中強硬政策を採っていると、日本は再び「ニクソン・ショック」に見舞われ、米国からはしごを外されて狼狽する事態になる恐れもあると思います。
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