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2010-12-10 00:00
「小沢招致」も「仙谷更迭」も、ともに実現すべきもの
杉浦 正章
政治評論家
「目糞鼻糞を笑う」か、「猿の尻笑い」か、「腐れ柿が熟柿を笑う」か。いずれも民主党内の抗争を表現して的を射ている。元代表・小沢一郎が「菅総裁では選挙が戦えない」と言えば、幹事長・岡田克也が「小沢氏が統一地方選の障害」と反論する、といった具合だ。大局から見れば「小沢国会招致」も、「仙谷更迭」も、両方実現すべきであり、言い争う話ではあるまい。だから民主党政権全体としては、国民に見放されて、地盤沈下するのだ。
民主党の中堅・若手議員は、総じて自民党より良質であるが、12月9日の農水政務官・松木謙公の発言だけはいただけない。公表されたように、いくら昨年の総選挙直前に小沢から莫大な政治資金が提供されたからといって、そこまでかばうか、という発言内容だ。小沢陣営を代表する意見だから紹介して、小沢戦略を分析する。松木は、菅が指示した国会議決による小沢招致について「本気でやっているのか、そんなこと」と前置きして、「強制起訴がもう決まっているその人を、なぜ人民裁判みたいな雰囲気で引っ張り出さなければならないか」と宣うた。この発言は、まず政府高官が国会を「人民裁判」の場だと冒涜する問題発言だ。さらに国会が憲法にある「国権の最高機関」であることすら理解していない。過去に疑惑の人物が裁判手続きと並行して、証人喚問されたり、政治倫理審査会に呼ばれたりしたケーズは、数限りない。
加えて、松木は「そんなことより、問責決議が可決されている。そちらの方が重い」と述べて、小沢の喚問と官房長官・仙谷由人の罷免問題を天秤にかけたが、これも間違っている。小沢の喚問は、自民党時代以来続く、カネまみれの日本の政治の原点が問われているのであり、仙谷発言は民主党政権の欺瞞(ぎまん)性が問われているのだ。自ずと質は違うが、重要性においては同格だ。松木発言は、小沢陣営が戦うための“大義”に欠けることを象徴している。小沢自身も、12日の茨城県議選での大敗をテコに、天王山となる13日の役員会で、いまや腰巾着と化した参院議員会長・輿石東をして、菅の政治責任を追及させる構えである。これを口語で形容すれば「ぬけしゃあしゃあと、よく言うわ」だ。自らの疑惑が選挙で負ける最大の原因になっていることなど、忘却の彼方だからだ。また小沢サイドは「問責決議を可決された仙谷氏交代が先だ」と主張する構えのようだ。しかしこれも冒頭に挙げたことわざ通り、自らの欠点に気づいていない。
一方、菅・岡田ラインも、岡田が「このままでは、国会が招集できない」と、小沢招致の必要を説くが、支持率対策の思惑が目につく。政倫審が議決しても、鳩山由紀夫の例のように、招致に応じなくても問題はない。支持率回復と仙谷問責を転嫁させる一石二鳥の策を狙っているとしか思えない。野党は仙谷問題も正常な通常国会への前提条件としているのだ。民主党内の攻防戦は、双方が“大義”のないガチンコ勝負に入っているようであり、この調子では党全体として世論の批判を浴びることは避けられまい。
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