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2010-12-02 00:00
大事争わぬ「些事国会」の閉幕
杉浦正章
政治評論家
2か月余にわたる臨時国会の論戦を見て、「政治家達は目の前だけが薄暗く見えるに過ぎない。洞穴の中に住んでいる」と述べたインドの詩人であり思想家のラビンドラナート・タゴールの言葉を思いだした。1924年の来日時に当時の日本の政治・軍事を批判した言葉とされる。まさに今次臨時国会は不毛の論議の場であった。法案成立率32%と、過去10年間の秋の臨時国会では最低の水準となった。それだけでなく、最後のさいごに、そのばかさ加減にとどめを刺す出来事が起きた。議会開設120周年記念式典での、与党議員の皇室へのヤジと野党議員の携帯電話が鳴ったことへの懲罰動議の応酬だ。まさに目糞が鼻糞を笑う醜態だ。政権が政権なら、国会も国会であった。
佐藤栄作がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」がある。小泉純一郎も活用したが、懲罰動議の理由などは些事中の些事だ。我が国の安全保障に直結する大事が連発したにもかかわらず、今国会ほど些事の争いに終始した国会は珍しい。直近の例では北朝鮮の砲撃に際して、自民党は予算委で“論客”なる者を立て、首相・菅直人が公邸にいて官邸にいなかったことを延々と、うんざりするほど追及した。公邸と官邸はつながっているのに、休日で職員もいない官邸に、首相が出て来て、なにができたというのだろうか。この場面はどうみても「大事争うべし」の場面であったにもかかわらず、論客なる議員は、その「大事」を忘れて、首相の行動という「些事」をシャーロックホームズのように得意げに解明することに終始したのだ。
北の砲撃の意図の分析を聞くことはおろか、我が国の安全保障に直結する事態に対処すべき政府の方針を質す場面もろくになかった。朝鮮半島や、北東アジアの安全をいかに構築するかの責任を、首相に問う場面でもあったにもかかわらず、「木を数えて林を忘れる」質問に終始した。テレビの向こう側にいる国民を意識しているのがありありと分かり、心ある視聴者は感心するより、不愉快に思ったに違いない。尖閣事件に関しても、ビデオ流出にとらわれすぎるあまり、尖閣問題の本質を見据えた論議がなされなかった。ロシア大統領メドベージェフの北方領土視察と併せて、我が国の外交戦略の基本を浮かび上がらせるべきところを、もっぱら政府・与党の敵失を引きずり出すことに専念した。官房長官・仙谷由人と国交相・馬淵澄夫への問責決議可決は、当然それに相当するが、これで意気揚々と今次国会を終わらせて、後に残ったものは何なのだろうか。むなしさだけが残るのだ。
「政治屋は次の選挙を考え、政治家は次の時代のことを考える」と述べたのは米国の上院議員・ジェイムズ・ポール・クラークだとされるが、国会における野党の質問は、その「政治屋」に徹していた。民主党がマニフェストという虚飾の政策で国民をだまして政権を取ったのだから、自民党も大衆にこびを売る“揚げ足取り質問”を繰り返し、選挙を有利に運ぶ。その思惑がありありと見えるのだ。そこには党利があっても、国民が不在だ。もっとも次の選挙だけを考える政治屋は政権の側にも鎮座しておられる。「君たちの次の仕事は、次の選挙で当選することだ」と憶面もなく新人議員を教育する小沢一郎だ。田中真紀子が「これだけの経験をもった政治家を、このまま無役で置いていることが不思議でならない」と12月1日夜の小沢との会合で述べたと言うが、「政治屋礼賛」とは情けない。父親が草葉の陰で泣いているのではないか。今次国会ほど政治屋がはびこり、浅薄な論議で大局を忘れた国会はない。法案が3割しか成立しいていないのに、菅政権は国会を延長せずに3日で閉幕する。菅はひたすら会期切れに“逃げ込みたい”のだ。
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