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2010-11-22 00:00
日中首脳「交談」でよだれを垂らす日本国総理大臣
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
逢いたい見たいと夜もすがら。やっとかなった三十分、というのは片思いの高校生のデートではない。報道機関の伝える日本国総理大臣の中国国家主席との会談の話だ。もちろん逢いたがったのは向こうさんではない。何をそんなに擦り寄って辞を低くする必要があるのか、と思う。誰が蒔いたタネなのかは別にして、隣国との間がとげとげしいよりは仲睦まじい方が良い。当たり前の話だ。しかし、何をおいても仲良しを演出するのが大事かどうか。
非・民主主義国家の指導者との間に「対話」は成立しない。異なった視点を認めあって、相互間に共通点を捜し、それによって相互の価値観の共存を目指す、というプロトコールが成立しないからだ。従って、行いうるのはたかだか実用的なイシューについての解決の合意、あるいは quid pro quo(オレがこれだけやるから、オマエもあれだけよこせ)でしかあり得ない。国内で異なった意見の存在を認めない体制が、国外で「対話」の思考回路を持ちうる筈がないのは、三歳の童子にでも解る理屈だ。
それを知ってか知らずでか、といえば一国の宰相に失礼にも当たろうが、何も成果がないことは予め解っている「会談」(でさえない「交談」だそうだ)によだれを垂らさんばかりとは。ノーベル平和賞授与式に大使が出席するのは当たり前、と言ってのける前原外務大臣の清々しさと好対照だ。そもそも、壊れたテープレコーダー(なんてものはもうないかな)みたいに繰り返す「戦略的互恵関係」そのものが、二国間「対話」には全く実りがないことを認識した挙げ句、近隣諸国、あるいは関係国を巻き込んでのマルチの「対話」チャンネルを設けなくてはならない、という認識から生まれた表現ではないか。
あけすけに言ってしまえば、付き合わないで済むのなら金輪際付き合いたくない無作法な隣人だ。それがそうもゆかないとなれば、節度を持ったおつきあいを志すべきだろう。国の矜持とか体面を持ち出すつもりはない。しかし、飼い主に親愛の情を示すワンちゃんよろしく、仰向きになって無抵抗を示さんばかりの態度は、外交と言えるものかどうか。その挙げ句、会談では「あの島は固有の領土だ」と言ってきた、というのでは、ほとんど落語に近くないか。かつてお手本にした君子、あるいは士大夫のありようを、本家本元が忘れ去っているからといって、こちらまでその真似をして節操を喪うことはないだろう。
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