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2010-11-22 00:00
「羊飼い」不在の民主党の「羊の政治」
四条 秀雄
不動産業
「羊の政治」とは「羊飼いの政治」に対比した表現です。私は、民主党の政治を「羊の政治」という一言で形容したいと思います。人間とは「考える動物」であるとか、「理性がある」とか言われますが、実際には人生のほとんどは何も考えていません。寝ているときは、考えていません。食べているときも、歩いているときも、ほとんど考えていません。
本当の人間とは、人生の大部分を習慣や前例や伝統や訓練に従って動いているだけの動物だと言えます。このことに気づいたならば、宗教というものの持つ力の大きさが良く分かると思います。暴力や軍事力で一時的な征服はできますが、長い持続的な支配を可能にするためには、価値観や世界観による支配が必要です。キリスト教が世界宗教になった大きな理由は、ローマ帝国がその統治の拡大のためにキリスト教を利用したという点が大きいと言えます。
西洋では、中世を通じて宗教の束縛が続きましたが、やがてルネッサンスと宗教改革を経て、宗教は相対化されました。それが、今日の西洋の「考える力」につながっていると思います。最近かつ最悪の宗教の力の誇示の例としては、オーム真理教の例があります。彼らのやったことは異常でしたが、彼らは人間としては正常でした。つまり、かれらもまた、人間を羊として飼い慣らそうとしたということです。このように人間を羊に喩えるのは、かなり的確な比喩だと思います。
そこで問題なのは、政治における羊飼いや牧師や司祭の役割です。欧米諸国では、若い世代のひとたちをこういう立場に置く訓練をたえず行っていることが伺えます。若い世代のひとたちを、古くは宣教師、新しくは語学教師などとして、世界各地に派遣していることは、その例でしょう。そういう経験を積ませて、「人間が羊である」ことを教えるわけです。本来、政治というのは、そういう研鑽を積んで、さらに批判的精神を磨いた人々によってなされなければ、うまく機能しないはずのものなわけです。民主党には羊飼いが不在です。羊たちが蠢いているだけです。
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