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2010-11-13 00:00
(連載)外交判断として船長釈放とビデオ流出の是非を考える(1)
若林洋介
学習塾経営
あるテレビ番組で、民主党の長島議員(元防衛政務官)が、中国人船長の釈放理由について、次のように説明していたが、まったくそのとおりだと思う。「中国人船長を逮捕・拘留後、日本政府は国内法での裁判に持ち込むつもりであった。ところが、中国側はレア・アースの輸出停止、日本人4人の拘束(人質)などの報復措置で対抗して来た。ここで局面が変わり、日本政府は、やむなく中国人船長を釈放した」と。
実際に、この中国人船長の釈放の見返りに、中国政府は拘束中の4人の日本人を釈放したではないか。これは、外交政策上は、双方の捕虜の交換やスパイの交換ときわめて類似した行動であったと言える。特に、拘束された4人の日本人(フジタ社員)の容疑内容からいって、「スパイ罪」の重罪が課せられる可能性もある、というぬきさしならない情勢であったのだ。問題があるとしたなら、この政治的意思決定が沖縄地検(検察庁)の判断という形式でなされたということであるが、その点では菅内閣は批判されても仕方がないだろう。ただ、その政治的意思決定の責任の所在問題と、「中国人船長の釈放」そのものが、誤りであったかどうかは、全く別次元の問題として議論されねばならないだろう。
「国民の生命と財産を守る」という政府の責任がある以上、中国側の報復措置が講じられた時点で、日本政府の外交課題は、「中国人船長を国内法で裁くこと」よりも「拘束中の4人の日本人を即刻解放すること」に最優先課題が変わったのだ。
「中国人船長を釈放することは、誤りだった」と主張する人たちにお尋ねしたい。あの時点で、中国人船長が裁判にかけられたならば、拘束中の4人の日本人(フジタ社員)も、それに対する対抗措置として裁判(スパイ罪)で裁判にかけられることになったことは、容易に想像されるではないか。それでもよいということなのか。そういう議論を全く抜きにして、「日本政府が、中国の圧力に屈して、中国人船長を釈放したのはケシカラン」というだけでは、あまりにも稚拙な議論であり、無責任な議論ではないのか。(つづく)
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