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2010-10-12 00:00
国家主権より経済を優先すべし
若林 洋介
学習塾経営
尖閣諸島の領有権をめぐって、「尖閣諸島は、日本固有の領土だ。毅然とした対応をすべきだ」という議論が、後を絶たないが、このような国家主権論争は、まったく不毛だ。たしかに歴史的には、1968年の国連の資源調査によって石油埋蔵が確認されてから、台湾・中国がにわかに領有権の主張をし始めたということは事実だろう。であるならば、日本政府は、なぜ1972年の日中共同宣言(周恩来首相・田中角栄首相)、1978年の日中平和友好条約(トウ小平副主席・園田外相)において、両国間で決着を付けなかったのか。そもそも、平和条約が締結された二国間で、国境線の公的確定が完了していないということ事態がおかしいのではないか。
そのことは、1972年の日中共同宣言、1978年の日中平和友好条約の締結交渉の段階において、田中角栄首相・大平外相および福田首相・園田外相が、尖閣諸島の領有権問題に関して、対中強硬策(中国側の領有権放棄の確認)を取らなかったことの外交的成果なのだ。日中平和友好条約が発効して以降、改革開放政策と相俟って、日中両国において経済は活性化し、幾十万・幾百万の雇用が生まれた。つまり、尖閣諸島の領有権問題を棚上げにするという、先人の政治家達の知恵によって、何十万・何百万の日本国民と中国国民の生活が、守られ、支えられてきたということなのだ。
もしも1972年の日中共同宣言の時点で、田中角栄首相が、尖閣諸島の領有権問題を主張し、国境線の公式の確定にこだわり続けていたなら、1978年の平和友好条約の締結も不可能であったろう。つまり国家主権ではなく、経済を優先したからこそ、今日の両国の経済発展がもたらされたということなのだ。前原外相が、国家主権論を大上段に振りかざして「毅然とした態度」を取ろうということは、日中両国民の「国民生活」にとっては、大きな迷惑でしかない。日中両国民の「日々の暮らし」こそが、政治家が大切にしなくてはならないものではないのか。
「国民生活第一」のはずの民主党よ、国家主権の意地の張り合いゴッコに、うつつを抜かすべきではない。国家主権の意地の張り合いがエスカレートすればいかなる事態が生まれてくるのか。日中両国の軍部が力を増して、外交判断に軍部の意向が大きく作用し、政治家の意思決定がますます困難な状況が生まれて来るに違いないのだ。中国政府なら、海軍指導部が外交部よりも発言権が強化されるであろうし、日本政府は、ますます主体性を失い、在日米軍および米国国防総省の意向に従わなくてはならない状況が生まれてくる。そういう事態は、絶対に避けなくてはならないのだ。
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